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みのもんたの“幻のセリフ”「五輪、ついに名古屋に決まりましたね」40年前、なぜ名古屋はソウルに完敗したのか?《消えた名古屋五輪》 

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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photograph byBUNGEISHUNJU

posted2021/10/06 11:02

みのもんたの“幻のセリフ”「五輪、ついに名古屋に決まりましたね」40年前、なぜ名古屋はソウルに完敗したのか?《消えた名古屋五輪》<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

1981年のIOC総会、開催地決定を受けて特番の備えていたみのもんた。「88年のオリンピック、ついに名古屋に決まりましたね」というセリフは幻に終わった(写真は1991年撮影)

“莫大な赤字”モントリオール市民が30年払った税金

 先の東京パラリンピックの閉会式を前に、東京2020大会組織委員会の橋本聖子会長が、2030年の冬季五輪開催を札幌市が目指していることについて「私としても何とか実現したい」と発言した。しかし、東京五輪での一連の騒動で懲りたせいか、世間の反応はこうした動きに対してどうも冷ややかだ。世界的に見ても、オリンピックは経費負担の重さから敬遠される傾向にある。2024年の夏季五輪開催地を決める際にも、これを理由に立候補を辞退する都市があいつぎ、結局、残ったパリとロサンゼルスで24年大会および次の28年大会を分け合うことになった。

 同様の問題は40年前にも生じていた。1988年の五輪招致では、先に書いたようにメルボルンが途中で辞退したが、そのほかにもロンドンやブリュッセルも立候補を検討しながら結局申請しなかった。いずれも理由は巨額の経費の問題であった。すでにカナダのモントリオールは1976年に開催した夏季五輪により莫大な財政赤字を抱えていた。市民はその穴埋めのため、開催後もじつに30年間、税金を支払わされることになる。名古屋五輪でとられるはずだった広域開催方式も、開催都市の負担の軽減のため1978年にIOCが認めたものであった。

 その後、1984年のロサンゼルス大会が、スポンサーの協賛金やテレビ放映権の売却などにより黒字決算となった。これを機にオリンピックは一転してビッグマネーをもたらすイベントと見なされ、世界各国の都市が熾烈な招致合戦を繰り広げる。しかし、そんな時代もとっくに終わってしまった。その意味ではふりだしに戻ったといえる。ただ、40年前と大きく違うのは、あのときの韓国のように新たにオリンピックを開こうという国が名乗りをあげていないことだ。これはより多くの都市で開くという、オリンピック本来の理念が限界に来ていることの何よりの証しだろう。今後もオリンピックを継続するのであれば、開催のあり方を抜本的に見直す必要があることは間違いない。

【参考文献】
池井優『オリンピックの政治学』(丸善ライブラリー、1992年)
長谷川博樹『市役所ワンダーランド』(ゆいぽおと、2021年)
福島茂「名古屋『オリンピック構想』(1979年)―幻のオリンピックと都市整備:その今日的意味を考える―」(日本都市計画学会中部支部編『幻の都市計画 残しておきたい構想案』樹林舎、2006年)

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