甲子園の風BACK NUMBER
「智弁和歌山→慶大→ロッテドラ1」の喜多隆志、興国高校の監督になって3年で“履正社に勝利→大阪桐蔭を追い詰められた”ワケ《同期・中谷仁監督に続け》
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph byTakashi Shimizu
posted2021/09/21 11:02
興国の監督として指導する喜多隆志監督
興国は府内2番目の生徒数を誇るマンモス男子校である。野球部員も喜多が4年前に来た時は130人だった。今年も3学年で118人が在籍する。新チームは2年生が34人で少なめ。1年生が44人いる。
智弁和歌山は一学年10人強の少数精鋭で鍛え上げていた典型。両者の違いはまず、その部員の数だ。
「少数の方が、レベルが上がるんちゃうのと思っていたんですが、今は、こっちのが面白いなと思って。ませたのも幼稚なのも、いろんな子がいてて、ぼくの性格的な部分も合ってるかなと思いますね」
数の分だけ個性があって、戦力のバリエーションも増える。やりがいが生徒の人数分ある、というわけだ。
「甲子園を意識してない集団があったんやなと」
そしてもう1つ、智弁和歌山時代との大きなギャップがあった。
「高校野球をやっている限り、だれもが甲子園を目指してるもんだと思ってましたが、甲子園を意識してない集団があったんやなと。でも、常に目指してるのが異質であって。ここにきて初めて気づかされた」
喜多は智弁和歌山で常勝軍団の英知を学んできた。その経験を浪花の地でどう生かすか――という思いを持っていたが、現実は違うものだったのだ。
「ほぼ、参考にならないです(笑)。智弁の打って打って感覚をつかむ練習は通じない。ここの子にはかみ砕いてわかり易く伝えてあげないと。話をして練習して、話をして練習しての繰り返しです」
智弁のポテンシャルが「10」なら「2」くらいだが
智弁のポテンシャルが「10」だとしたら、興国の選手は2もないかもしれない、という。
「出来たことが出来なくなるのが得意なチームなんで(笑)上書き保存しようという話をするんですが、常に新しいファイルを作るんで、前のファイルが残らないんですよね。バント練習を多めにやったら、明日の試合ではバントが多いよ、ということなのに、見事に彼らは気づかない(笑)」
教えがい、伸びしろがある、という単純なことでもない。目を離すことが出来ないから、首脳陣は忍耐が必要なのだ。