甲子園の風BACK NUMBER
「智弁和歌山→慶大→ロッテドラ1」の喜多隆志、興国高校の監督になって3年で“履正社に勝利→大阪桐蔭を追い詰められた”ワケ《同期・中谷仁監督に続け》
posted2021/09/21 11:02
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph by
Takashi Shimizu
夏の甲子園で智弁和歌山が優勝した日の夜、こんなメールを頂いた。
『母校のように甲子園で勝負できるチームを地道に作りたいと思います』
大阪の興国高校野球部の喜多隆志監督(41歳)からだった。喜多は智弁和歌山のOBで、2018年夏から興国を率いている。
智弁和歌山で全国制覇、慶大でも活躍した元ドラ1
生まれは奈良県の生駒。6つ上の兄が奈良の智弁学園にいた縁もあって自身は智弁和歌山に進学する。智弁和歌山現監督の中谷仁主将、高塚信幸(元近鉄)らと1997年の夏、全国制覇を経験した。喜多は3番センターで初優勝の原動力になった。
その後、進路は慶応義塾大学の後藤寿彦監督(当時)に声をかけてもらって、迷わずAO入試に挑戦した。
「人生の中で一番、嬉しかったのは、慶応に受かったことですかね(笑)」
慶応大時代には東京六大学シーズン史上最高打率となる「.535」をマークし、ベストナインに4回選出されるなど実績を残すと、プロ野球選手という小さい頃からの夢も叶えた。千葉ロッテに1位でドラフト指名されたものの、5年間で53試合、22安打の通算成績だった。自身も結果は出なかったと認めるが、それは今の教員生活にとって、貴重な時間だったという。
プロ野球選手を引退し、喜多は高校指導者を目指した。
当時はまだ、アマチュア資格を回復するのに教職履修に2年間、さらに教壇に2年間立つ必要があった。後藤の紹介で岐阜経済大(現岐阜協立大)の教職課程の履修、朝日大ではゼミの講義を担当し、規定の長い4年を終えた。朝日大では慶大の先輩、林卓史が監督をしていて、野球部のコーチも任された。
高嶋先生からの連絡を受けた、あの日
1年目は特に長かった。人生で一番、勉強したと振り返る。
「慶応出身で賢いという評価をされていましたし、単位は落とされへんと。60単位かな、ほぼ成績はAですよ。意地ですよね。20歳ぐらいの学生に交じって、こっちは28、29歳で」