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「智弁和歌山→慶大→ロッテドラ1」の喜多隆志、興国高校の監督になって3年で“履正社に勝利→大阪桐蔭を追い詰められた”ワケ《同期・中谷仁監督に続け》
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph byTakashi Shimizu
posted2021/09/21 11:02
興国の監督として指導する喜多隆志監督
現在は数日の講習でアマチュア資格が回復できる。それは悪いことではない。ただ喜多は4年を要した最後の年代だ。そもそもプロで活躍して引退がもっと後だったら、このタイミングにはなっていない。「その年月がいろんな経験になっていて唯一無二だった、数日でなんて取らなくて良かった」と誇りに思っているという。
4年の目途がたつころ、戻ってくる気があるのか、と智弁和歌山の高嶋仁監督(当時)から連絡があった。理事長に会って復帰が決まる。
智弁和歌山では2011年4月から2017年3月までの6年間、副部長や部長などを歴任して夏に3回、センバツに1回出場した。一方で2015年夏には高嶋監督の退任が報じられた。最終的には続投となったものの、喜多の居場所もはっきりとしない状態だったという。
「最後は高嶋先生、死ぬまでやってよ、という思いになって(笑)。他校で監督になれるんなら行きたいな、という自分のわがままな結論を出しました」
妻の実家がある岐阜に戻ることも視野に入れ、自宅も既に売却手続きをした。そこに興国の話が舞い込んだのだ。
かつて“やんちゃ”だった興国高校だが
その昔、興国は“やんちゃ”な高校だったが、女性の3代目理事長になって新しい時代に入ろうとしている最中である。国公立大学への進学者も増え、サッカー部は古橋亨梧らを輩出するなど全国屈指の強豪の仲間入りを果たしている。その中で野球部も新鮮な指導者を探していた。そこに喜多がハマった。
校舎は天王寺区にあって、そこから枚方の山の中腹にある専用グラウンドにバスで移動する。全員移動だと観光バスとマイクロバスを使って1時間弱。費用もかかるし練習時間も削られるハンデがある。20時まで練習してまた、バスで学校に戻って各自の帰路につく。
その中で喜多は自身で車を運転して移動する。朝は和歌山県岩出市の自宅を5時半に出る。1日の移動距離は200キロほどになるそうだ。
教師として週に6コマの社会科の授業を受け持つ。体育は資格を取るのに6年がかかるので、社会科にしたそうだ。