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中田英寿はなぜマスコミに反発したのか? 「天才ではない」男が覆した“アスリートとメディアの関係”〈23年前のセリエA移籍も『nakata.net』で発表〉
posted2021/09/13 11:01
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph by
Kazuaki Nishiyama
「天才ではない」――。では中田英寿が真に優れていたこととはなんだったのか。21歳でイタリア・セリエAへと渡ってから23年。誰も見たことのない挑戦を続けてきた中田が変えたのは、“アスリートとしての意識”そのものだった。〈全2回の2回目/#1から続く〉
《初出:『Sports Graphic Number』2018年9月27日発売号。肩書などはすべて当時》
《初出:『Sports Graphic Number』2018年9月27日発売号。肩書などはすべて当時》
「日本人がセリエAで活躍できるようになるには100年かかる」と豪語していたイタリア人ジャーナリストは、1998年9月13日、レナト・クーリの記者席で完全に言葉を失っていた。中田は日本人の意識を変え、イタリア人の意識も変えた。
だが、彼がもたらした最大の変化は、アスリートの立場、ではなかったか。
マスコミは、選手の生殺与奪の権利を握っていた
自戒を込めて言う。中田英寿が出現するまで、日本のスポーツに関するマスメディアは傲慢だった。いまもその名残はあるが、いまよりももっと、傲慢だった。
たとえば、試合後のヒーローインタビューで、マイクを持った聞き手がこんな質問をぶつけることがある。
「ファンへのメッセージをお願いします!」
一応、「お願いします」というへりくだった形はとっている。けれども、この質問の意を直訳すれば、「しろ!」である。ファンへメッセージをしろ。聞かれた側が意に沿う答えをして当たり前、という前提がそこにはある。
リクエストという形をとった、強制である。
なぜこんなことがまかり通っていたのか。そしていまも、消えてはいないのか。
選手たちの側に、情報を発信する術がなかったからである。
どれほど素晴らしい才能を持ち、またどれほど素晴らしい結果を残した選手であっても、自らの肉声をファンに伝えるには、マスコミの力を借りなければならなかった。選手の実力と同じぐらい個人的なパーソナリティを重視する日本社会において、マスコミは、ある意味で選手の生殺与奪の権利を握っていた。