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中田英寿はなぜマスコミに反発したのか? 「天才ではない」男が覆した“アスリートとメディアの関係”〈23年前のセリエA移籍も『nakata.net』で発表〉
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2021/09/13 11:01
2001年のコンフェデレーションズカップ、ブラジル戦にてフリーキックを蹴る中田英寿
マスコミの「命令」に反旗を翻した
ある者は無自覚に、またある者は諦めと共に受け入れていたマスコミからの「お願いします」という形をとった「命令」に、中田は真っ向から叛旗を翻した。
最初からそうだったわけではない。
「ベルマーレに入った頃の僕って、どちらかというとマスコミの人と話をするのが好きな方だったと思うんですよ。ただ、だんだんと裏切られるというか、それは違うだろってことが増えてきて」
元来、中田はサッカー選手でありながら、サッカー以外の世界への関心を隠さなかったタイプである。肉体ではなくペンやカメラで勝負する世界の人間に好奇心を抱かなかったはずはない。
だが、ポジティブな印象を持っていた人に裏切られた場合、生じるネガティブはより大きなものになってしまう。中田とマスコミの間で生じたのが、まさにそれだった。
いわゆる「お約束」に完全に背を向けるようになった中田に対し、「お願いします」と形さえ繕っておけばアスリートは従うもの、という常識に囚われていたマスコミの人間は激しく反発した。私自身、「あんな生意気な野郎はいつかブッ叩いてやる」と息巻いていた記者やカメラマンの顔を何人か思い出すことができる。あのときの中田が向けられた反発は、いささかグレーな経緯で巨人に入団した江川卓に向けられたものと同質だったかもしれない。
本人の感覚からすれば日本中すべてを敵に回したとしか思えなかったに違いない江川は、時間をかけてファン、メディアとの関係を修復していくしかなかったが、中田は違った。
彼は、自ら情報を発信する術を見つけたのである。
革新的だった『nakata.net』
「ワールドカップ出場を決めてからのマスコミの報道は、正直、ちょっと酷いものが多かったですからね。そんなときに、友人がこういうものがあるよって教えてくれたのがホームページ。あれを始めたことで、自分の言葉が意図的にねじ曲げられたり、根も葉もないことを言われることに対して、立ち向かう手段ができた」
『nakata.net』と名付けられた彼のインターネット・サイトは、最大で1日2000万以上ものPVを記録することになり、アスリートによる情報発信の先駆けとなった。