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なぜ“ヒーロー不在”の甲子園になった? 勝利至上主義に変化…智弁和歌山監督は「スター投手が壊れたら終わり、はおかしい」
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/08/30 17:03
最後の打者を投手・中西聖輝(中央)が空振り三振に。優勝を決めたあと、智弁和歌山は“歓喜の輪”を作ることなく整列に向かった
「投手一人のチームをつくって、その選手が壊れたら終わりって、組織のあり方から普通に考えたらおかしいですよね。必死にバットを振っている選手もいるわけですから。投手一人にチームの命運を任せるようなことはしないです。企業もそうですよね。ひとりに託して大きなプロジェクトがつぶれてしまう。そういうことはあってはいけないじゃないですか」
使い古された「全員野球」ではなく、指揮官が選手全員を信じ、選手たちもそれに応えていく。そうした友好的な関係性が智弁和歌山の強さだった。
智弁学園エースは「2年生に経験を積ませたい」
大会全体を振り返ってみて思うことでもあるが、指導者の意識が少しずつ変わり、選手の考え方も新時代を迎えているのではないか。
例えば、決勝を戦った智弁学園は、エースの西村王雅、小畠一心を中心に戦ったが、1回戦の倉敷商戦では、終盤に10点差がつくと2年生左腕・藤本竣介が登板した。緊張から3安打を浴びて降板してしまうのだが、8回無失点だった西村は「完投を志願しなかったのか」とメディアから問われると、こう答えた。
「点差もありましたし、自分が最後まで投げ切りたいとは思わなかったです。それよりも、点差が開けば、2年生が登板できるので、経験を積ませたいと思った」
エースが全ての試合を投げ切り、勝利していく。あるいは、特定のメンバーだけで勝ち切っていく時代ではない。指導者が部員一人一人を大切にしているからこそそうした概念は生まれたのだろう。
「多くの部員を集めてその中から這い上がった選手だけが戦力になる」「厳しい練習を課して、指導者の体罰や怒号・罵声に耐えられた選手だけが生き残っていく」……それが高校野球だった。今はそうではなく、一人も取り残さない、サステナブルな育成が必要とされるのかもしれない。
“スター不在”は高校野球のトレンド?
もっとも、今大会は“スター不在の大会”と言われたのは事実だ。
中学時代に150キロを計測して話題になった森木大智(高知)や多彩な変化球を操る小園健太(市立和歌山)、センバツベスト4の畔柳亨丞(中京大中京)や達孝太(天理)などが相次いで地方大会で敗退。目玉不在との前評判だった。
ただ、今大会を通して見えてきたのは目玉が不在なのではなく、一人のスター選手によってチームが作られるものではないという高校野球の潮流だ。