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斎藤佑樹が語る“ハンカチ王子前夜”「あんな経験をしたことはなかった。本当にショックでした」神宮で泣いた日
posted2021/08/21 11:03
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph by
Takashi Shimizu
〈初出:2015年7月30日発売号「斎藤佑樹『二つの夏を越えて』」/肩書などはすべて当時〉
2005年の夏。まだ何者でもなかったヒーローは、屈辱的な敗戦に打ちひしがれ、悩み、考えていた。1年後の夏、頂点に立つにはどうすればいいか――。あの2006年の夏に辿り着くまでの軌跡を追った。
今から9年前の夏――早実が頂点に上り詰めようかという、その直前。マウンドにいる、近くて遠い斎藤佑樹を、彼らは甲子園の三塁側ベンチから見つめていた。
そのうちの一人、早実の記録員としてベンチにいたマネージャーの及川龍之介は、「狙ったところへ自由自在に投げるサイボーグのようだった」と振り返る。また代打の切り札として背番号12をつけていた神田雄二は、「イラついているのがすぐにわかるタイプだったのに、いつからこんな冷静なピッチャーになったんだろう」と不思議な思いに包まれていた。そして早実の監督、和泉実はこんなことを考えていた。
「今まで僕が出会った子の中で、斎藤が3年間で一番、伸びたなと思ってました。入学してきたときから『コイツ、すげえな』というキレのあるボールを投げていましたが、ゲームに入り込むと、負けず嫌いだからすぐにキレちゃう。自分の心をコントロールできない場面をたくさん見てきました。だけどあの夏の甲子園での2週間は、精神的な苛立ちを完璧に封じ込めていた。そうさせたのは、彼の一途な向上心だったと思うんですよね」
春のボロ負け「こんなんじゃ、夏の甲子園で勝てません」
2006年8月21日、夏の甲子園、決勝。
早実は引き分け再試合の末、駒大苫小牧を破って頂点に立った。マウンドで両腕を天に突き上げていたのは、斎藤だ。投げ勝った相手は高校ナンバーワンの呼び声高かった田中将大である。中学3年のときに斎藤を初めて見て、その才能に惚れ込んだ和泉監督は、目の前の斎藤の成長をしみじみと噛みしめていた。
「春のセンバツが終わったとき、斎藤は悔しくてしょうがないと言っていた。あのときは横浜にボロ負けしたんだけど、それでも荒木大輔以来の全国大会ベスト8ですから、普通の子なら達成感を口にするものです。でも斎藤は開口一番、『全然、ダメです』と言ったんです。もともと大口を叩いて自分にプレッシャーをかける、そういう男なんですが、『こんなんじゃ、夏の甲子園で勝てません』と言い切りました。そういう向上心が、彼にスポンジのような吸収力の土台を作ってくれたんでしょうね」
9年前の夏を、斎藤自身はこう振り返る。