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斎藤佑樹が語る“ハンカチ王子前夜”「あんな経験をしたことはなかった。本当にショックでした」神宮で泣いた日
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph byTakashi Shimizu
posted2021/08/21 11:03
15年前の夏、100年に1度の伝説の名勝負を制した斎藤佑樹。当時を振り返った貴重なインタビューである
「あっという間のようで長かったような、長かったようであっという間のような、そんな感じです。あの夏は自信があったから、冷静でいられたんだと思います。何を投げても打たれないという自信がありました。でもその自信を支えてくれたのは、勝ってきた経験ではなく、そこまでに苦しんで、考えてきた経験です。一番大きかったのは2年夏、日大三高に負けたことかな」
監督が2年生の斉藤に「背番号1」を託した理由
早実のエースナンバーを斎藤が初めて背負ったのは、2年生の夏、西東京大会を前にしたときのことだ。
2005年当時、その4年前に夏の全国制覇を果たし、この年も3年連続で夏の甲子園出場を目指していた日大三は、西東京の各校にとってはあまりに高すぎる壁となっていた。3年になってマネージャーを務める及川は、こう言っている。
「日鶴(日大鶴ケ丘)や(東海大)菅生は10回戦ったら5勝5敗、もしくは6勝4敗という相手でしたけど、あの頃の(日大)三高には10回やったら10回負ける、番狂わせが起こり得ない相手でした」
その日大三と、9年ぶりの甲子園出場を目指す早実が2005年の夏、準決勝で対戦した。先発は準々決勝で都日野台を完封した2年生エース、斎藤だった。和泉監督は2年生に1番を託した意図をこう話す。
「斎藤が一本柱になってくれないと三高には勝てない…‥そういう自覚を促す意味合いもありました。3年生で1番を背負える高屋敷(仁)というピッチャーもいましたけど、あえて斎藤に1番を与えて二人の関係を逆転させることで、斎藤の自覚と高屋敷の悔しさから生まれる化学反応に期待したんです。そうでもしなければ、当時の三高にはとても勝てないと思っていました」
神宮で泣いた“屈辱の日大三戦”
しかし、2年生の斎藤の日の前に立ちはだかった日大三は、想像以上に強かった。斎藤はその試合をこう振り返る。