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梅崎司(34)にとって『トリニータ』はなぜ“特別”なのか…家庭内暴力に苦しんだ幼少期、15歳で誓った「サッカーでお金を稼ぐ」 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byOITA F.C.

posted2021/07/27 11:01

梅崎司(34)にとって『トリニータ』はなぜ“特別”なのか…家庭内暴力に苦しんだ幼少期、15歳で誓った「サッカーでお金を稼ぐ」<Number Web> photograph by OITA F.C.

プロのキャリアをスタートさせた大分トリニータへ復帰を決めたMF梅崎司。過酷な家庭環境の苦しみから救ってくれた原点とも言えるクラブだ

「カップ戦でプレーしても『もっとできるな。もっとサッカーしたいな』という純粋な気持ちが湧き起こってきて、だんだん新たな環境で挑戦したいと思うようになったんです。その中で大分こそ、自分がまだやれるのかという挑戦をするのにふさわしい場所だと思って決めました」

 梅崎は古巣のラブコールに応えた。もちろん、どの選択肢も魅力的だった。しかし、アカデミー時代から籍を置いたトリニータというクラブは特別だった。でもそれは、ただ“愛着のある場所”という理由だけではない。彼にとって大分の地は「自分の居場所と未来を掴み取るために、死に物狂いで自分を形成した6年間」を過ごした場所である。

 辛く苦しい世界にいた梅崎にとって、大分トリニータは彼に光を見せ、人生を劇的に変えてくれた“恩人”とも言えるクラブなのだ。

家庭内暴力、裸足で家を飛び出した

 長崎県で生まれた梅崎は、幼少期から過酷な家庭環境に身を置いていた。父親が母親に暴力を振るう「ドメスティックバイオレンス」を毎日のように目の当たりにし、時には割れた皿や瓶でめちゃくちゃになった部屋を母と一緒に片付けたこともあった。小学3年生の時にはあまりの辛さにパジャマ姿で裸足のまま家を飛び出し、近くのパチンコ店の駐車場の片隅でうずくまって震えていたことさえある。

 中学生になると、父の暴走を止めに入る機会も増えた。

「早くこの家を出て、オカンと弟を自分が養えるようにならないといけない」と現状からの脱却を誓った梅崎は、同じ年頃の少年が背負う必要のない大きなものを抱えながらサッカーに打ち込んだのだった。

「絶対にプロサッカー選手になって、お金を稼いで、俺はもっと上に行く」

 中3になった梅崎はプロになるために地元の強豪校である国見高校への進学を希望した。しかし、誘いをもらうことはできず。そこで、当時所属していたクラブから大分U-18のセレクションの知らせを受けると、藁にもすがる思いで応募した。そこでユースの監督を務めていたファンボ・カン氏に「一人だけ目の色が違った」と見初められ、合格。梅崎の人生において、初めて大きな希望に包まれた瞬間だった。

「大袈裟な表現ではなく、僕は人生をかけて長崎から大分に来た。不安よりもトリニータというサッカーでチャレンジできる場所を掴み取れた、プロになれる可能性がある場所に行けるという希望の方が強かった。トリニータのおかげで、僕は人生で一番濃い6年間を過ごすことができた」

【次ページ】 渇きをサッカーで潤した

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