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梅崎司(34)にとって『トリニータ』はなぜ“特別”なのか…家庭内暴力に苦しんだ幼少期、15歳で誓った「サッカーでお金を稼ぐ」 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byOITA F.C.

posted2021/07/27 11:01

梅崎司(34)にとって『トリニータ』はなぜ“特別”なのか…家庭内暴力に苦しんだ幼少期、15歳で誓った「サッカーでお金を稼ぐ」<Number Web> photograph by OITA F.C.

プロのキャリアをスタートさせた大分トリニータへ復帰を決めたMF梅崎司。過酷な家庭環境の苦しみから救ってくれた原点とも言えるクラブだ

 15歳の梅崎はただただ渇望に苛まれていた。

 長崎に置いてきた母と弟を金銭面で苦労させないために、何より自分のプロサッカー選手になって成功するという夢を現実にするために「どんなにネガティブなことがあっても、自分の気持ちと意思は変えてはいけないと思って必死にやってきた」。だから、大分で貪るように経験を積んで、自身の渇きを潤した。とにかく上だけを目指してガムシャラにサッカーに打ち込んだ。

 すると、結果もついてきた。

 2005年にトップチーム昇格を手にすると、年代別日本代表では主軸としてプレー。プロ2年目にはレギュラーの座を手にするまでに成長した。07年にはわずか半年だったがフランスリーグへ移籍、U-20W杯でもベスト16を経験するなど、プロとしての階段を着実に登っていった。

 そして、プロ4年目の08年に浦和レッズに完全移籍。そこから10年間、赤いユニフォームを纏って戦い、多くのファン・サポーターに愛される存在となった。この10年の間に長崎にいる母と弟を埼玉に呼び寄せ、2人が住むための家も購入した。18年に湘南へ完全移籍を果たしてからも、クラブをルヴァン杯優勝に導くなど絶大な支持を得る選手に成長し続け、今度は愛する妻と子ども2人のために湘南の地で自宅を建てた。

「絶対にプロサッカー選手になって、お金を稼いで、俺はもっと上に行く」

 中学生の頃に誓った思い。それは梅崎のサッカー人生にずっとリンクしている。だからこそ、梅崎が積極果敢に仕掛けるドリブルは、誰が見てもエモーショナルに映り、多くの人を惹きつけてきたのかもしれない。

天皇杯で決めたFK、蘇る記憶

 大分への移籍を決めたことで、結果的に湘南での最後の試合は7月7日の天皇杯・ヴァンラーレ八戸戦となった。この試合で梅崎は直接FKを沈め、吠えた。

「決めた瞬間は久しぶりのゴールで嬉しかったし、チームメイトもみんな笑顔で祝福をしてくれた。何よりリーグ戦と比べると観客は少なかったけど、スタジアムに来てくれた人がみんな喜んでいるのも伝わって、『やっぱり俺はこの瞬間を味わいたいんだ』と、自分がサッカーをやっている意義を再認識させてもらったんです。その後にもらったオファーだったので、自分の原点と言える場所で挑戦して、サッカーをやっている意義をもっと感じたいと思ったのも、この決断の1つの要因でした」

 試合への、ゴールへの渇望。

 今年の2月で34歳になった。キャリアが終盤に近づいている今だからこそ、限られた時間の中でプロサッカー選手として輝いて、チャレンジをし続ける自分でいたい。そんな渇望が芽生え始めたとき、中3の時に抱いた想いが鮮明に甦った。

「原点回帰。僕はサッカー人生を歩んできて、いろいろ悩んで試行錯誤しながら、結局はチャレンジをしたい自分に戻る。このサイクルをずっと繰り返してきたのですが、今回はそこに自分の人生におけるサイクルも合致したんです」

 少年を大人にした場所に、再び戻ってくる。まさに「運命」とも言える決断だった。

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