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<来日から43年を経て>
セルジオ越後「僕が辛口である理由」 

text by

武智幸徳

武智幸徳Yukinori Takechi

PROFILE

photograph byKazuhiro Kitahara

posted2015/03/31 06:00

<来日から43年を経て>セルジオ越後「僕が辛口である理由」<Number Web> photograph by Kazuhiro Kitahara
 なぜ、セルジオ越後はいつも毒舌を吐くのか。
 '72年の来日以来、サッカー界の発展を考え続ける日系ブラジル人解説者の本音と、願いとは。

 日本風にいうと終戦の直前、1945年7月28日に生まれたセルジオ越後が日本サッカーリーグの藤和不動産(後のフジタ。現湘南ベルマーレ)にやって来たのは1972年のことである。

 日本リーグ初のプロ経験者として、ブラジル仕込みの華麗なテクニックを披露する日系2世に日本のファンは度肝を抜かれた。一方、セルジオが日本に来て最初に受けた衝撃はサッカーのチームがなくなるという出来事だった。

「僕が日本に来たとき、日本リーグは8チーム。それが翌年にトヨタと田辺製薬が入って10に増えた。でも結局、いろいろな会社がサッカーから手を引いて」

 ブラジルではサッカーは同好の士が集まるクラブでやるもの。仲間がいる限りクラブはなくならない。日本ではプレーする仲間がいても会社の都合で廃部や解散に追い込まれる。チーム、ひいてはスポーツの存否が社会や社会を構成する一人一人の人間の思いではなく、会社の事情に左右されるということが「日本のサッカー文化とかスポーツ文化について何も知らなかったから本当に驚きだった」。


 何がブラジルと違うのか。ある時、日本サッカー協会の事務局を訪ねて腑に落ちた。

「すごい建物だ、さすがサッカー協会だなと思ったら、岸記念体育会館(東京・渋谷)で。日本のアマチュア競技団体の本部のほとんどが詰めているビルだった」

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