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33年前、東京ドームのこけら落としはマイク・タイソンだった?…では東京ドームで最初に投げた“意外な”ピッチャーは?
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph bySankei Shimbun
posted2021/06/22 17:00
1988年03月21日、東京ドームで行われた世界ヘビー級タイトルマッチ「マイク・タイソン対トニー・タッブス」。2回KOでタイソンが勝利した
確かに「統一世界ヘビー級タイトルマッチ・王者マイク・タイソン対挑戦者トニー・タッブス」(1988/3/21)も「ミック・ジャガー『Japan Tour 1988』」(1988/3/22~23)も、当時の多くの媒体は「東京ドームこけら落とし」「BIG EGG初上陸」を謳って広告を打っている。高校生だった筆者にもその記憶はある。
しかし、いずれも事実誤認である。常識的に考えて、野球場のこけら落としが野球以外なわけはないのだ。東京ドームの正確なこけら落としはプロ野球オープン戦「巨人対阪神」(1988/3/18)である。「伝統の一戦」こそ新球場の開幕に相応しいと考えた関係者の思惑が汲み取れる。
東京ドームで最初に投げたのは江川卓だった
先発は巨人が桑田真澄、阪神は遠山昭治(その後、奨志)。ただし、初めてマウンドに立ったのは、桑田真澄ではない。もちろん始球式を行った竹内壽平NPBコミッショナー(当時)は桑田真澄より先にマウンドに上がっているのだが、そういうことが言いたいのではない。桑田ではない別の投手が先にマウンドに立ったのだ。──江川卓である。
前年1987年の日本シリーズを最後に現役を引退した江川卓は、程なく解説者・タレントに転身。この時期すでにその活動を精力的に行っていた。そこで引退発表から半年後のこの日「サヨナラ登板」を行ったのである。相手は幾度となく名勝負を繰り広げてきた掛布雅之。東京ドームのこけら落としという晴れの舞台で、昨シーズンまでのエースの花道を設えたのは、巨人球団にとって最大限の配慮と言うべきかもしれない。
旧後楽園球場では野球よりボクシングが早かった
ただし、東京ドームの前身とも言うべき旧後楽園球場は、こけら落としとして開催した「全日本職業野球選抜紅白試合」(1937/9/11)や「軍国仕掛大花火・10万人の軍歌斉唱」(1937/9/12)より早く、工期中にもかかわらず別のイベントを行っている。帝国拳闘会拳道社(現・帝拳プロモーション)主催「全日本フライ級選手権試合・花田陽一郎対坂本一」「全日本フェザー級選手権試合・小池実勝対玄海男」(1937/3/6)の二大タイトルマッチで、7月にも「全日本フェザー級選手権試合・王者玄海男対挑戦者堀口恒男(ピストン堀口)」(1937/7/26)が催されている。前出の友人はこの件と混同したのかもしれない。
この背景には、初代帝拳会長にしてこののち株式会社後楽園スタヂアム社長となる田辺宗英の意向があったと推測する。1000株以上を持っていた田辺はこの時期すでに、取締役として球場経営に参画しており、「工期中でも、場所が空いているんだから拳闘の興行を打とう」と考えたとすれば合点がいく。