革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
野茂英雄が「ものすごい形相で」…同学年・小池秀郎の2軍落ちに「俺も落とせ!」「いや、できない」首脳陣と完全決裂“朝帰り事件”の真相
posted2025/05/16 11:01

1994年、野茂英雄と鈴木啓示監督ら首脳陣とのあいだの「軋み」が表面化したのは意外な事件からだった
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Takahiro Kohara
1994年の近鉄は、野茂英雄が西武相手に8回までノーヒットの快投を見せながら、3点リードの9回、守護神・赤堀元之が伊東勤に史上初の「開幕戦逆転満塁サヨナラ本塁打」を食らうという衝撃的な敗戦で開幕からつまずくと、3カードを終えて2勝5敗。
4月19日から福岡ドーム(当時)でダイエー(現ソフトバンク)と3連戦。移動日なしで、同22日からは日生・藤井寺両球場でのオリックス3連戦が組まれていた。
小池秀郎という男
開幕ダッシュの失敗を取り返す、巻き返しの6連戦。カード初戦となる19日は、92年の新人王で、3年目の右腕・高村祐が先発したが、5回途中被安打7、4四球で降板。その後を継いだのが、2年目の左腕・小池秀郎だった。
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1969年3月生まれの小池は、68年8月生まれの野茂とは同級生になる。
亜大時代の90年ドラフト会議で、野茂と並ぶ史上最多タイの8球団が競合も、交渉権を獲得したロッテへの入団を拒否。社会人の松下電器(現パナソニック)を経て、92年のドラフトで、近鉄の1位指名を受けてプロ入りしている。
5回終了時で0-7。ダイエーの一方的な試合展開だったが、近鉄は6回に3点を奪って反撃。ここでダイエーの勢いを封じ込めれば逆転も見えてくるような流れだったが、水を差したのが、小池の乱調だった。
乱調の小池に野茂が…
劣勢の試合を食い止める役割を期待されてのリリーフも、2イニングで4安打4四球5失点。追い上げた直後の6回に小池が踏ん張れなかったことが、敗戦の一因になったのは間違いなかった。