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近藤真彦56歳はレース界でどう評価されてきた?「『レースは近藤の趣味』と言われても全部笑い過ごせます」 

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大串信

大串信Makoto Ogushi

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photograph byTakashi Ogasawara

posted2021/06/29 17:02

近藤真彦56歳はレース界でどう評価されてきた?「『レースは近藤の趣味』と言われても全部笑い過ごせます」<Number Web> photograph by Takashi Ogasawara

芸能活動を続けながら、長年にわたってモータースポーツに携わってきた近藤真彦

 実際、後に当時を振り返った近藤は「当初は、確かにレース界はなんとなく楽しくて格好いい世界だと思っていたし、ヘルメットとレーシングスーツだけ持ってくればいいという立場にいました」と自分の立場を認めている。

 だがその後、近藤は「本気」でレースにのめりこむ。

トップ選手へ弟子入り、まさかのF3参戦へ

 近藤を支援していた日産は、当時日産の契約選手として国内最前線で戦っていた星野一義を結びつけ、師弟関係を売り物に近藤をより上位のクラスへ引っ張り上げた。これもまた、芸能人が立場を利用して一般選手が通れない、敢えて言うならば裏口を通り抜けてトップ選手の弟子になったケースと言えばそれまでだが、さらに深くレースに関わりたいという近藤自身の想いがなければ実現しない「ステップアップ」だっただろう。

 ここまでは、いわば草レースレベルのレースに出走したりプロ選手のサポートとしてレースに出走したりするだけで目立った成績は残していない。しかし近藤はここからさらにレース活動を加速させ、1988年には全日本F3選手権へ参戦する。F3は将来プロ選手を目指す選手たちが腕を磨くための世界共通規格によるカテゴリーである。

 モータースポーツには選手のレベルによって種目の階級構造がある。野球で例えたとき、それまで近藤が出場していたレースが草野球でありリトルリーグであったとすれば、F3は高校野球に当たる。ここに近藤はこれまで支援を受けていた日産とは直接関係のない体制で臨んだ。F3ともなればレースのレベルは格段に上がり、「趣味」で関わるには荷が重い。当然、活動費用も跳ね上がるが、近藤は石油会社のバックアップを得て体制を築く。ここでも近藤が芸能人の知名度を利用したことは否めないが、自分を商品と位置づけ活動費用を捻出するという点ではプロ選手に一歩近づいたとも言える。近藤の場合、売り物が選手としてのパフォーマンスではなく芸能人としての知名度であっただけの話なのだ。

業界も「いつもの芸能人の道楽」という風潮だったが…

 当時のレース活動については、業界内部でも「いつもの芸能人の道楽」と冷ややかに眺める風潮が強かった。プロを目指す有力選手とともに走るF3では、もはや芸能人の特権が働く余地はなく、実力勝負となってしまえば近藤の技量はさすがに通用しなかった。

 しかし下位を低迷しながら近藤はF3レースを続けた。そしてなんと6シーズンにわたって走り続けるうち、業界内部にも「近藤真彦は本気なのではないか」と、眺める目の空気も変わってきた。もっとも、F3は俗に「2イヤーズフォーミュラ」と呼ばれることもあるカテゴリーで、プロを目指す有力選手はF3を2シーズン戦い、そこで目立った成績を残せば上位へ進出できるが、2年で成績が残せなければプロはあきらめて他の道を目指した方がよいという落第宣告を受ける、厳しいプロの関門なのだ。

【次ページ】 「近藤真彦は本気なのではないか」

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