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「自分は日本人ではない?」タビナス・ジェファーソンが高2で知らされたルーツ…日本代表への夢を絶って選んだフィリピン代表のユニフォーム
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/06/16 11:00
フィリピン代表を祝うセレモニーで母から花束を受け取る水戸DFタビナス・ジェファーソン
すぐに自宅に帰って母親に確認すると、告げられたのは自分がフィリピン国籍であることだった。日本は二重国籍が認められておらず、パスポートは1人1冊しか持つことができない。彼が持っていたパスポートは日本ではなく、フィリピンのものだったのだ。
自分は日本人ではない――。当然、U-17日本代表入りの話はなくなった。「せっかくの日本代表のチャンスが……」とこれまで味わったことのない大きなショックを受けた。
ただ、自分で国籍を知り、ルーツを調べるようになったことで一筋の光も見えた。それは20歳になったら日本に帰化できるチャンスがあるということだった。
「最終的にA代表に入ることができれば問題がない。今は焦らずにサッカーの実力を磨くのと、プロになったら帰化するための準備をすればいいと思っていた」
ショックを振り払ったタビナスはサッカーに打ち込み、高校卒業後に川崎フロンターレへの加入を勝ち取った。川崎では毎日の練習に並行して、クラブが雇った司法書士と協力をし、帰化するための書類の整備や情報収集にも励んだ。
「この頃はずっと混乱していました」
しかし、さらにここから歯車は望まない方向へと進む。川崎では分厚い選手層の前に出場機会に恵まれない時期が続き、そして肝心の「帰化」についてもまた新たな事実が発覚してしまう。
20歳の誕生日を迎えた1カ月後の2018年9月7日、司法書士と一緒に川崎の法務局に申請を提出。その1回目の面談で、自分が1年更新のビザで日本に住んでいたことが発覚したのだ。
タビナスはこれまで母親の扶養という形で日本に在住していた。母親は滞在ビザの1年の期限を更新していく形でベビーシッターの仕事をしており、タビナスもそれに伴って毎年更新していたことがわかった。帰化するためには、まずは母親の扶養から外れ、中長期ビザ(3~5年程度)を取得してから、日本に継続して居住することが求められる。つまり、当時のタビナスは、まだ帰化する資格すら持っていなかったという事実を突きつけられたのだった。
では、日本の永住権を持つ父親の扶養に変える選択肢があったのではないか? しかし、そもそもタビナスの父と母は日本の法律の下での婚姻関係はなく、いわゆるアフリカや北中米などでは一般的な「事実婚」であった。
さらにプロサッカー選手という職業は個人事業主のため、「一般企業の就労」に該当せず、仮に母親の扶養を外れたとしても、日本人の女性と結婚などをしない限りはこれまで通り1年更新でビザを取得しなければいけない。
「サッカーでもうまくいかないし、それに加えて自分が何人なのか、どういう存在なのかすらも見失って……この頃は頭の中がずっと混乱していました」