“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「自分は日本人ではない?」タビナス・ジェファーソンが高2で知らされたルーツ…日本代表への夢を絶って選んだフィリピン代表のユニフォーム
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/06/16 11:00
フィリピン代表を祝うセレモニーで母から花束を受け取る水戸DFタビナス・ジェファーソン
一方で、自分は寿命が短いプロサッカー選手だ。ここで足踏みをしているわけにはいかない。焦燥感が生まれたタビナスは、当時J2だったFC岐阜への期限付き移籍を決断する。だが、岐阜でもスタメン出場はわずか1試合。在籍した1年間でリーグ戦出場は8試合と、不本意な結果となり、「完全に自信を失っていた」と振り返る。
そんなタビナスに転機が訪れたのはJ1ガンバ大阪に期限付き移籍した昨シーズン。J3を戦うU-23チームの戦力という位置づけだったが、ここで森下仁志U-23監督と出会う。
森下監督はタビナスの能力を高く評価する一方で、大きな課題である「感情の起伏」に対して正面から向き合ってくれた。ミスを引きずっているときは全力で励まし、他人のミスに対して感情を露わにしたら、激しく叱りつける。森下監督の粘り強いアプローチでタビナスは徐々に自信を取り戻していった。
このシーズン、シュートブロック数とパス数のランキングでJ3の1位に。トップチームでの出番こそ少なかったが、U-23では絶大な存在感を放った。その活躍が認められ、今季から水戸へ完全移籍。CBのレギュラーとして秋葉忠宏監督から全幅の信頼を寄せられている。
フィリピン代表からの打診
サッカー選手としての階段を登っていく中で、心境にも大きな変化が訪れた。
実は彼が岐阜に所属していたころ、フィリピン代表のスコット・クーパー監督から打診があったという。しかし、当時は「帰化をして日本代表入りを目指している」と断りを入れていた。G大阪にいた昨季も打診があったが、これも同じ言葉で断っていた。それでもクーパー監督は、「なぜ君がJ3でプレーしているのかがわからない」と評価し、タビナスを常に気にかけてくれた。
「君の意向は尊重する。でも、我々はいつも君のプレーをチェックしているし、機会があればこうやって連絡を取り合おう」
この言葉がタビナスの心にずっと残っていた。
22年間も日本に住んでいたのに、いきなり「僕は外国人です」なんて簡単にはなれない。日本代表という夢だってある。
「周りは『何人でもいいじゃん』と言ってくれるのですが、僕の中では心から愛している国なのに胸を張って日本人と言えない、ずっと在留期限を更新しながら生きていかないといけない苦しさがずっとある。ましてや、そこでフィリピン代表を選んだとなると、帰化へのハードルは一気に上がってしまう。サッカー選手を引退した後も、日本で住み続けたいと思っているからこそ、決断に踏み出せなかった」