“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「自分は日本人ではない?」タビナス・ジェファーソンが高2で知らされたルーツ…日本代表への夢を絶って選んだフィリピン代表のユニフォーム
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/06/16 11:00
フィリピン代表を祝うセレモニーで母から花束を受け取る水戸DFタビナス・ジェファーソン
揺れ動くタビナスのアイデンティティ。そして再び、クーパー監督から連絡が届いた。
「君を正式に代表招集したい。我々にとって重要な試合である6月のW杯アジア2次予選は、(フィリピンに)帰化する選手たちの多くが間に合うし、海外でプレーする選手たちも合流する。ぜひ君も来てくれないか。一緒に戦おう」
この言葉を本気で受け止めようとしている自分に気づいた。
「仮に粘って帰化できたとしても、それは3~4年先のことになる。もしかしたらそれ以上になる可能性だってある。サッカー選手の1年は普通の社会人の1年とはわけが違う。1年でも無駄にできないからこそ、自分が決断を下さないといけない時が来たと感じました」
期限内に自分のパスポートをフィリピンに送り、FIFAに受託をされた時点で日本代表への夢は途絶える。日本人になることを待つか、フィリピン代表となるか――。究極の2択を迫られたタビナスはフィリピン代表になることを選んだ。パスポートを送るとき、手は震えていた。
「どれも大事なルーツであり、すべて自分」
J2第15節のヴァンフォーレ甲府戦後、フィリピン代表が事前キャンプを張るカタールに飛び立った。チームに合流してみると、フィリピン人の両親を持つ選手は5人程度で、あとはフィリピンにルーツを持ちながらも、ドイツやスペインで育った選手たちがたくさんいた。会話は基本英語だが、それぞれが育った土地の言語同士で話す姿に驚いたという。
「チームで『フィリピン以外にどこのパスポートを持っているの?』と聞かれるんですが、フィリピンしかないことを伝えると、『日本って厳しいんだね』と言われるんです。それに、まず『お前はどこの言語を使うんだ?』と聞かれ、答えるとそれに合わせてコミュニケーションを取ってくる。
そもそも、ここにいる人たちはどこがルーツなのか、とか、言葉がどうか、とかまったく気にしていない。ネガティブに捉えていないんです。この決断は軽いものではなかったのですが、そんな彼らを目の当たりにして、そこまで考えすぎなくてもいいんだと思えるようになりました」
もう日本代表になることはできない上、フィリピン代表という経歴が帰化するハードルを上げてしまうリスクも負った。だがタビナスは、それ以上に自分が持つ多様性が周りに認められ、将来への道筋に繋がるような発見を得ることができた。
「これで形式上、フィリピン人だとハッキリした。でも僕の心はフィリピン人、ガーナ人、日本人である自分が同居している。どれも大事なルーツであり、すべて自分。それでいいんです」
現地時間6月7日、中国代表戦でA代表デビューをスタメンで飾った。フィリピン国歌斉唱の時、彼はユニフォームの左胸にあるエンブレムに手を当てて、事前に覚えてきた国歌を歌い上げた。
「歌詞の意味も全て調べました。『フィリピン人よ、我らは勇ましい。愛情を持ってこの国を背負おう』という歌詞にグッときたし、僕もその一員として誇りを持って戦おうと奮い立つんです」
フィリピン代表は0-2で敗れたが、その後のグアム戦(3-0)では勝利に貢献。最終予選進出は逃したが、フィリピン人としての誇り、そしてガーナ人と日本人としての誇りも引き連れ、タビナスは新たな人生の一歩を踏み出した。
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