甲子園の風BACK NUMBER
「アンチ高野連」を利用したキャンペーンに女子高野連が激怒… 高校女子野球を税金で支え続けた丹波市との関係
posted2021/06/09 17:01
text by
飯沼素子Motoko Iinuma
photograph by
Motoko Iinuma
たくさんの人たちが願っていた「高校女子野球の決勝を甲子園で」が、2021年8月、第103回夏の甲子園大会休養日に実現する(22日を予定)。長く女子の野球に冷淡だった日本高野連は、なぜこのタイミングで「女子も甲子園」を許可したのか。そしてこれからの課題は。
全国高等学校女子硬式野球連盟(以下女子高野連)と日本高野連(以下高野連)との交流の歴史、および関係者への取材から、その真相を探った(全3回の2回目/#1、#3へ)。
理念はしっかりしていても、先立つものがないのが女子高野連の悩みだった。スポンサーの介入を嫌った四津は、読売新聞社からの共催話も断ってしまうほど、企業とは距離を置いたからだ。そのため連盟の台所はいつも火の車。結局大会や連盟の運営費、参加校の遠征費など、すべて四津個人が払って大会を続けた。
「女子に硬球は危険だ」といって大会参加を断る学校が多いのも悩みの種だった。
「やっぱり高野連のバックアップが必要だ」と支援を頼みに行ったが、「参加校が5校や10校で全国大会と言えるのか」とにべもなかった(98年、読売新聞)。
「高野連には女子を育てようという気がないのか」
「それならせめて女子の決勝戦だけでも甲子園球場でやらせてくれ」と頼んだが、それも断られ、「高野連には女子を育てようという気がないのか」と嘆いたという。
朝日新聞のキャンペーンに呼応して、1997年、日本で一番早く女子硬式野球部を作った神村学園理事長の故神村勲も、「女子も甲子園へ」と高野連に訴え続けた一人である。神村は朝日新聞の計画が頓挫したことを知ると、チームを女子高野連に加盟させ、自身は副会長に就任したのだ。
99年の日本経済新聞社の取材には、「女子の決勝戦の甲子園球場開催を目指している。主催側などの理解も深まっている。(中略)選手には大観衆の前でプレーできる喜びを知ってもらいたい。女子スポーツにとって画期的な出来事になる」と語ったが、甲子園への扉を開くことはできなかった。