濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
ガラスが刺さり大流血で「ニヤリ」今年47歳の“不適切おじさん”葛西純がデスマッチで伝えたいこと 「お前ら、これを知らずに人生終わるのか?」
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2021/05/31 17:07
デスマッチのカリスマと称される葛西純は、その傷だらけの背中で何を伝えようとしているのか
デスマッチ=残酷ショーではない
この記事のためのインタビューは、5月27日の新木場1st RING大会で行なった。葛西が指定したのは試合後。ダメージや疲れがあるのではないかと思ったが、試合前の緊張している時間帯よりいいのかもしれない。「生きて帰る」こと前提と言ってもいいだろう。
この日は杉浦透と組んで竹田誠志&ビオレント・ジャックと対戦(ジャックが杉浦にギブアップ勝ち)。いつものように血を流し、相手を流血させ、ガラスに叩きつけられ、ダウンしてもニヤリと笑って立ち上がる。杉浦とともにマイクで大会を締めるとコメントも出した。そして「じゃあどうぞ」と筆者を控室に招き入れる。
バンデージをほどきながら語ったのは、デスマッチ=残酷ショーではないということだ。デスマッチで感じてほしいのは「立ち上がる力」だと葛西。
「デスマッチファイターはどんな状況でも立ち上がるし向かっていく。その姿を見てほしい。残酷だなんだって言われるけど、一度見たら考えが180度変わると思う」
それはデスマッチを会場で見ているファン全員の実感だろう。観客は相手を痛めつける選手に感情移入し、サディスティックな喜びを得ているのではない。危険が待つリングに上がり、どれだけ血を流し、ダメージを負っても闘い続ける選手の“生命力”を見ている。試合の中で攻撃がエスカレートする時、デスマッチファイターから感じるのはタフさだけでなく「何をやられても受け切ってやる」という精神性だ。
それはプロレスというジャンルの本質と言ってもいい。デスマッチというフィルターが、プロレスのプロレスらしい部分を増幅させるのかもしれない。その意味で、デスマッチは過激で異端ではあっても否定されるようなものではないと断言できる。
「お前ら、これを知らずに人生終わるのか?」
「こんな素晴らしいものをなぜ見ないんだって思いますよ。デスマッチと言えば残酷だっていう風潮は変えたい。“お前ら、これを知らずに人生終わるのか?”って。
映画の公開に合わせて、いろんな媒体の取材を受けたけど、あらためて気づいたのは葛西純もデスマッチもまだまだプロレス業界の外にまでは浸透してないなと。映画がなければたくさんの取材もなかったわけで。逆に言えば、今が知ってもらう凄いチャンス」
ここ数年、葛西は「刺激をくれ」と言い続けてきた。デスマッチを背負い、やるべき相手と常に“狂った”闘いを展開してきたからこそ、漫然と試合をしたくなかったのだ。もうやり尽くしてしまったのか。そんな思いでいる時に映画のオファーが来たというのも面白い。まだまだやることはあったのだ。