濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
ガラスが刺さり大流血で「ニヤリ」今年47歳の“不適切おじさん”葛西純がデスマッチで伝えたいこと 「お前ら、これを知らずに人生終わるのか?」
posted2021/05/31 17:07
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Norihiro Hashimoto
デスマッチを見ていていつも感じるのは“死”よりも“生”の手ざわりだ。
〈生きて帰るまでが デスマッチ〉
これは“デスマッチのカリスマ”葛西純のドキュメンタリー映画『狂猿』(公開中)のキャッチコピー。以前、筆者がインタビューした際にはこんな表現を使っていた。
「家に帰って子供を風呂に入れて寝るまでがデスマッチ」
かつてデスマッチは“遺恨清算”“完全決着”の手段だった。だが今ではプロレスのカテゴリーとして完全に確立している。デスマッチ専門の王座もある。
蛍光灯で殴り、コーナーに立てかけたガラスボードに投げつける。竹串の束を頭に突き刺し、金串は頬を突き抜く。さらに剣山、画鋲、ハサミ。「TLC」とはテーブル・ラダー・チェアーの略だ。略語ができるくらい頻繁に使われる“アイテム”なのである。ガラスや蛍光灯の破片がまき散らされたマットで受身を取るデスマッチファイターの背中は傷だらけで、皮膚の下にガラスが埋まったままのこともあるという。
そんな世界でも、特に葛西は狂った闘いぶりで知られる。もう一つの異名は映画のタイトルと同じ“狂猿”。後楽園ホールのバルコニーから落差6mのボディプレスを敢行(現在は禁止)。板に大量のカミソリを仕込んだカミソリボードを使用した試合では観客を「ドン引き」させた。
「包丁だの拳銃だので面白い試合をケガなくできない」
1月に発売された自伝『CRAZY MONKEY』で、葛西はデスマッチの痛みをこう語っている。
〈蛍光灯はスパっと切れるんだけど、ガラスは皮膚ごと削り取られる。だから、痛いし、出血もすごいし、傷の治りも遅い。ガラス系は、当たって割れるときも痛いけど、破片が散らばったリングで受け身を取るほうがダメージが大きくて、試合が終盤になればなるほどキツくなっていく〉
試合が命がけなのは間違いない。だが、だからこそ「生きて帰る」ことが大事なのだ。ダメージは与える。傷も負わせる。しかし欠場につながるような負傷はさせないし、しない。それがデスマッチファイターだけでなくプロレスラー全員のプライドだ。
たとえば葛西は(他の選手が使うこともある)包丁は凶器として使わない。カミソリやノコギリは“あり”だが包丁は“なし”なのだ。
「包丁を使わないのは、あくまで自分の中での線引き。実際は何を使ったっていいんですよ、包丁だろうが斧だろうがマサカリだろうが、極端なこと言えば拳銃でも。ただそれを出した上で、翌日の試合を休むようなケガをしたり、させたりしちゃダメなんです。武器を使ってケガさせたり、最悪は殺したりっていうんじゃそこらのあんちゃんと一緒。俺らはプロレスラーなんで。今の自分のスキルでは、包丁だの拳銃だので面白い試合をケガなくやってリングを降りることはできないなと。だから使わないってことです」