濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
ガラスが刺さり大流血で「ニヤリ」今年47歳の“不適切おじさん”葛西純がデスマッチで伝えたいこと 「お前ら、これを知らずに人生終わるのか?」
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2021/05/31 17:07
デスマッチのカリスマと称される葛西純は、その傷だらけの背中で何を伝えようとしているのか
愛する家族を“食わせていく”ためのデスマッチ
どう考えても“残酷ショー”の登場人物の言葉ではない。葛西は子供の時から絵を描くのが好きで、格闘技雑誌にイラストを投稿していたこともある。凶器を自作し、それを使い、マイクを握ってメッセージを発する。それらすべてが“葛西純の表現”だ。ただ試合をしているだけではないから、彼はカリスマになった。
カリスマは子煩悩な父親でもある。長男の学校行事には欠かさず参加、現在は幼い娘を公園に連れて行くのが日課だ。試合がある日も、昼間は我が子の「付き人稼業」に勤しみ、それをSNSに投稿する。
「リング上では超人だけど、リング降りたら普通の人と一緒ですよ。普段から超人だったら、たぶんつまらない。いつもは普通のオッサンなのに、リング上がったら凄いことをやる。だから見る人の希望になれるんじゃないかなと」
葛西純にとってデスマッチは、愛する家族を“食わせていく”ためのものでもある。負傷欠場中にアルバイトをした時期もあるから、余計にリングに上がることが大事に思えるのだろう。曰く「生きるためのデスマッチ」。
自伝によると、少年時代の葛西は勉強ができるわけでもスポーツができるわけでもなく、といって不良でもない「その他大勢」だった。高校卒業後に上京、警備会社で働きながら格闘家を目指すはずが風俗通いにハマった。デスマッチを始めるまで、葛西純には何もなかったのだと言う。
「デスマッチは自分の人生そのものだから。生まれてきて初めて、人に認められたのがデスマッチ。それで家族を養ってもきた。もしデスマッチやってなかったら? シロウト童貞のしがないガードマンでしょう(笑)。自分に自信を持つことなんてできなかったと思う」
レベル47の“不適切おじさん”
できることなら、デスマッチを死ぬまでやりたい。だがそれは「デスマッチで死んでもいい」ということではない。あくまで、生きて帰るのがデスマッチだ。
「極端なこと言えば100歳まで今と同じ、納得のいくクオリティの試合をして、自分の足でリングを降りて、車運転して家に帰って、シャワー浴びて布団に入って翌朝冷たくなってるっていうのが理想ですね。このままクオリティを落とさないなんて無理と思われるかもしれないけど、何言ってんだって。こっちは葛西純ですよ。今年9月で47。葛西純の年齢はレベルなんでね、レベル47ってこと。やめることは想像してないし、しないようにしてます。これやめたら、俺には何もないから」
自伝の出版、映画公開。あと3カ月ほどで47歳の葛西に追い風が吹いている。やはりレベルが上がっているのだ。そしてこの追い風は、世の中が求めたものかもしれない。血だるまで立ち上がり、不敵に笑ってみせる葛西純の姿は、不合理に抗い、闘い続けるすべての人々の象徴にも見える。葛西は自分を“不適切おじさん”とも呼ぶ。不合理な世界に不適切で抗うのが、葛西純のやり方だ。