甲子園の風BACK NUMBER
“清原・桑田のPLに負けた監督”は63歳となった今…校長兼監督に 「本分は学業。赤点取ったら練習させない」
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph byTakashi Shimizu
posted2021/03/22 11:01
聖隷クリストファーで校長を兼任する上村監督
高校野球は「華やかになりすぎた」と語るワケ
高野連では「200年構想」が謳われ「次の100年」に向けてとも言われている。上村監督は、複雑な思いを持っているようだ。
「そんなに続くかね。華やかになりすぎた。100年一区切りでもよかった。当事者なんで矛盾してるけど、そんなことも思うんですよ」
そんな葛藤がある中でも、刺激を受けた存在として、同県で指導する後輩を挙げている。常葉菊川がセンバツに優勝したのが07年。当時の森下知幸監督(現御殿場西監督)は浜商の後輩であり、ともに甲子園でベンチに入った間柄だ。常葉は打力を前面に出した攻撃野球だった。
「フルスイング、ノーサインの野球を森下は必然性を感じてやったと思う。高校野球のトレンドにもなった。でも常にそういう選手が9人揃うわけじゃない。僕は自分のスタイルでやっていくしかない」
スタイルとともに高校野球の担う役割とは何だろうか――と考えることがあるという。掛西の監督の時のことだ。秋の東海大会で0対1で粘って凌いで、逆転サヨナラホームランで勝利した試合があった。
「掛西ファンのおじいちゃんたちが泣いていた、と普段は見に来ることのない女房から言われたんです。こういう人たちを喜ばせることが出来て、夢を背負ってやってるんだな、と」
昨夏の独自大会で優勝して感じた新たな喜び
聖隷では新しい喜びにも気づかされた。
「夏(の独自大会)に優勝した時、周辺に住んでる人や養護老人ホームの人たちが、みんな声をかけてくる。『よかったですね、涙出ちゃったよ』って。自分も勝ちたいし、生徒のためもあるけど、近所の人が"聖隷が勝ったんだ"と喜んでくれる。高校野球って大きい存在だと思います。励みの一つになってる。今はそれを実感している」
選手たちのひたむきさで周囲を励ます存在になる。そのために選手を"どんじかる"のだ。普通のことが出来ない時、当たり前のことに気づかない時に。
「表の見えるところは奇麗に取り繕って、裏の見えないところはゴミが落ちていていいのか? 野球以前の問題だろ」
練習終了後、集合した円陣の中の上村監督の訓示の声は低音で迫力がある。生徒の輪が寄ってきて小さくなる。
こんな言葉で締めくくられた。
「成功の反対はなんだ? 挑戦しないことだよ。チャレンジするから成功に結び付くんだよ」
生徒はユニフォームのお尻のポケットからメモ帳を取り出して、ペンを走らせた。