甲子園の風BACK NUMBER
“清原・桑田のPLに負けた監督”は63歳となった今…校長兼監督に 「本分は学業。赤点取ったら練習させない」
posted2021/03/22 11:01
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph by
Takashi Shimizu
ある日曜日の昼下がり、校長先生の機嫌がよくなかった。
「朝から、生徒をどんじかったんだよ」
『どんじかった』とは静岡の方言で、強く叱る、という意味だ。
「朝、グラウンドに来たらゴミが落ちていた。気づいて拾いなさい。場を清める、心が綺麗になるということ」
昨日、帰る時に校長先生がゴミを拾っていったのに、ゴミが落ちていたのだという。
校長先生は整理整頓が好きでおそらく、奇麗好きだ。焚火のマキを几帳面にくべる。バッティングマシンの汚れを落としている。ゴミや落ち葉が散らばっていないグラウンドでの練習がいいにきまっている。
校長先生とは聖隷クリストファー高校野球部の上村敏正監督(63歳)のことで、中学・高校の校長を兼ねている。
聖隷クリストファーは甲子園の出場こそないが、昨夏の静岡県の独自大会(7回制)に優勝した。校長先生が部活の監督をして県内強豪に数えられるというのだから、珍しい。
聖隷クリストファーを率いる元甲子園球児
聖隷クリストファーは浜松市にある聖隷三方原病院が中核の私立で、幼稚園から大学までの学校法人がある。
1930(昭5)年5月、結核に侵された子供を看病したことに起源があるという。39年12月25日、天皇陛下より特別御下賜金を拝受し、事業が繋がる。終末期医療、ホスピスの走りでもあった。看護師が足りなくて養成学校を作って教育事業が始まった。そして66年に聖隷学園高等学校が開校し、2001年に現校名に変更した。
現在、学校、病院の拠点は古戦場の三方原にある。病院は浜松中心部にある聖隷浜松病院と合わせると2000床にもなる大きな規模で地域に貢献し、ドクターヘリの導入も早かった。
そんな同校を率いる上村監督は地元の名門・浜松商(以下浜商)の捕手として、夏の甲子園に出場している。
「将来は教員になりたいと思っていた。中学の監督が浜商OBで『浜商でも先生になれるから行ってみたら』と勧められた」