野ボール横丁BACK NUMBER
【センバツ】「練習中に大腿骨が折れて…」部員5人だった“離島の弱小校” 2年半で初の甲子園に導いたスゴい練習
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKYODO
posted2021/03/18 18:22
今年の新年初練習 。冬の厳しいトレーニングに励む大崎高校の選手たち
清水 誤算は2019年夏のコールド負けくらいですね。でも、もちろん、このままずっとうまくいくとは思っていませんよ。
――簡単には言えないと思いますが、清水さんの中で、勝てる監督とはどういう監督ですか。
清水 情熱ですね。シンプルに。私がそれしかないですから。人より一生懸命になれることに関しては自信がある。ときどき自腹で練習を観にいらっしゃる監督がいるんですけど、そういう方は、だいたい出てきますね。強くなる。都道府県の高野連の派遣として来るような方とは熱意が違いますから。私も20以上の高校は優に回っていると思いますけど、人のお金で行ったことは一度もない。一生懸命になったら、自然と、知識に対して貪欲になっていくものじゃないですか。亡くなられた済美の上甲(正典)さんは晩年、ぺーぺーの私のところにわざわざビデオカメラを持参して「ピッチャーの指導法を教えてくれ」っていらっしゃいましたから。あんな大監督ですら、そうだったんです。
――極端な例ですが、知識は豊富だけど情熱のない監督と、知識はなくても情熱のある監督だったら、後者の方が絶対、いいチームを作りますよね。
清水 そうです、そうです。それは絶対、そう思います。ただ、僕は今、選手と一緒に寮に住みながら、ほとんど1人で指導しているんです。そっちの方が早くチームが強くなるというのもあります。ただ、長い目で見たとき、誰かに任せられるところは任せないといけないなとも思っているんです。
――清水さんのことを知る人は、みなさんそう思っていると思います。今度は、くれぐれも1人でがんばり過ぎないように、一生懸命になり過ぎないように、と。
清水 もう、戻りたくないと思っていたのは、それもあるんです。戻ったら、また同じ失敗をしてしまわないかな、と。そこは怖いんですよ、今も。
(【続きを読む】「練習が嫌で脱走しました」「1日ご飯7合食べてます」廃部寸前から初の甲子園 “離島の球児”が証言するセンバツまでの2年半 へ)