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【センバツ】「練習中に大腿骨が折れて…」部員5人だった“離島の弱小校” 2年半で初の甲子園に導いたスゴい練習

posted2021/03/18 18:22

 
【センバツ】「練習中に大腿骨が折れて…」部員5人だった“離島の弱小校” 2年半で初の甲子園に導いたスゴい練習<Number Web> photograph by KYODO

今年の新年初練習 。冬の厳しいトレーニングに励む大崎高校の選手たち

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中村計

中村計Kei Nakamura

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 長崎県の離島、大島の県立大崎高校がこの春、選抜高等学校野球大会に初出場する。1人の監督が、わずか2年半で、部員5名の弱小チームを一気に生まれ変わらせた。監督の名前は、清水央彦。清峰(長崎)のコーチおよび部長として春夏計4度甲子園に出場し、佐世保実業(長崎)では監督として2度甲子園に導いた。しかし、「不適切な指導」があったとされ、2度、学校を辞めている。「大崎高校物語」は大崎だけでなく、そんな清水の再生の物語でもある(全3回の2回目/#1#3へ)。

――清水さんが監督に就任した2018年春、20人もの新入部員が集まったんですよね。この僻地にそれだけの選手が集まるだけでもすごいのに、その選手たちは、それなりに実力者だったそうですね。

清水 西海市の西彼中学が前年、全国大会に出場していまして。そこから4人入ってくれた。そして中体連の長崎県の優勝チームのエースである坂口(航大)がうちに来てくれることになった。それがでかかったですね。彼のお陰で、行くかどうか迷っていた選手たちが、こぞって大崎に来てくれることになった。坂口は野球部や学校を変えるとかいうレベルではなく、西海市を変える子になるとずっと思っていたんです。清峰時代の全盛期ほどではありませんが、これくらいのレベルの選手たちが集まれば、長崎では1年半後の夏、十分、勝負できると思っていました。

――ところが、その2019年夏、初戦で鎮西に3-12のコールド負けを喫してしまいました。

清水 鎮西はその年、準優勝しました。でも、まさか、あんな大差になるとは思っていませんでした。完全な力負け。馬力のあるバッターが4人くらいいて、彼らにボコボコに打たれて……。この学校に来てから、すっかり「泣きキャラ」になってしまったのですが、あんなこと、初めてでしたね。試合後、応援に来てくれた親たちに泣いて謝りました。島の高校に息子を預けるのって、親にとっては、決して小さくない決断だったと思うんですよ。それだけに、あまりにも申し訳なくて。佐世保球場が満員になるくらい地元の人も応援にきてくれたのに。なのに、あんなぼろ負けして。

名物練習「親には『見ないでください』と言ってます」

――清峰高校時代の清水さんは、とにかく厳しかったという印象があります。復帰し、指導方法は変わりましたか。

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