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ベルトの価値は王者が決める…「初代」IWGP世界ヘビー級王者・飯伏幸太の重大な任務とは【新日本49年目の試練】 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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posted2021/03/07 11:04

ベルトの価値は王者が決める…「初代」IWGP世界ヘビー級王者・飯伏幸太の重大な任務とは【新日本49年目の試練】<Number Web> photograph by Essei Hara

IWGP世界ヘビー級王座に就いた飯伏幸太は新日本プロレスが迎えている試練を乗り越えることができるだろうか

飯伏幸太を待つスタジアム・プロレス

 かつて、新日本プロレスの創成期にはNWF世界ヘビー級という北米の王座があり、新日本プロレスの歴史になった。巨大プロモーター勢力NWAによって「世界」の看板を外された後も、猪木の戦いによってそのベルトの価値が変わることはなかった。NWFを封印した以降がIWGPだった。

 初代王者飯伏の初防衛戦は4月4日に両国国技館で、現在開催中(決勝は3月21日、ゼビオアリーナ仙台)のNEW JAPAN CUP優勝者と戦うが、その先にはスタジアム・プロレスが待っている。

スタジアム・プロレスは現地観戦のきっかけに

 新日本プロレスは5月にスタジアムで「WRESTLE GRAND SLAM」と題した2つのビッグマッチを開催する。

 5月15日には初進出の横浜スタジアム、同29日には今年3回目の東京ドームと攻勢をかける。その時点の観客数のガイドラインがどうなるかはわからないが、スタジアムでの開催は興行スタイルの考察があったことを意味する。

 コロナ禍で離れて行った観客を取り戻すにはきっかけが必要だ。きっかけは友人に誘われたという場合もあるし、チケットが容易に手に入ったという場合もあるだろう。

 そして野球場だからという場合もあるかもしれない。

 スタジアム・プロレスの歴史は日本では力道山時代までさかのぼる。NWA世界ヘビー級王者・鉄人ルー・テーズに力道山が挑戦した試合は1957年10月、後楽園球場で行われた。

 1967年8月、時のNWA王者ジン・キニスキ—がジャイアント馬場のインターナショナル王座に挑んだのは難波の大阪球場だった。

【次ページ】 「ドームやめたら新日本は終わっちゃうから」

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