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ベルトの価値は王者が決める…「初代」IWGP世界ヘビー級王者・飯伏幸太の重大な任務とは【新日本49年目の試練】
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2021/03/07 11:04
IWGP世界ヘビー級王座に就いた飯伏幸太は新日本プロレスが迎えている試練を乗り越えることができるだろうか
「ドームやめたら新日本は終わっちゃうから」
カレンダーは進んで東京ドームができると、新日本プロレスは1989年4月24日にドームで初興行を行った。ドーム興行は新日本プロレスの看板になった。1992年からは1.4が定着した。東京ドームはもちろん福岡、大阪、名古屋、札幌と各地のドームツアーも行われた。
昨夏も行ったが、神宮球場も野外のスタジアムとしてリスト入りした。スタジアム・プロレスは雰囲気があるが、試合を見る環境としては筆者は好きではない。試合を見るなら、両国国技館や日本武道館の方が近いし、見やすい設計だ。それでも、きっかけとして、スタジアム・プロレスは有効だ。
暗黒期とよばれた興行不振の時代には、1.4東京ドームの開催そのものが否定される環境もあった。それでも、「ドームやめたら新日本は終わっちゃうから」(坂口征二)とドーム興行は継続された。
「必ずその先を見せます。棚橋さん、やりましょう」
チャンピオンとしてスタジアム・プロレスに向かう飯伏に託された課題は大きい。
「ボクの中では、初代だけれど、やっぱりIWGPヘビー級、これは第74代になった、インターコンチは28代になった、という思いで、統一初代、だと思っています」
飯伏は放送席に座っていた棚橋弘至に言葉を投げた。
「ボクの意見は変わらない。このベルトは統一して、必ずその先を見せます。棚橋さん、やりましょう。ボクは誰とでもやりたい。そして、このベルトを一つにして、もっとすごい世界のベルトにしたいと思っています」
指名された形の棚橋以外にも、オカダ・カズチカ、ジェイ・ホワイトらも黙ってはいないだろう。