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「東洋の魔女」生理でも練習させて…当時も賛否両論 日本の女性アスリートたちは“誰と”戦ってきたか? 

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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posted2021/02/28 17:02

「東洋の魔女」生理でも練習させて…当時も賛否両論 日本の女性アスリートたちは“誰と”戦ってきたか?<Number Web> photograph by JMPA

1988年ソウル五輪、1992年バルセロナ五輪に出場した小谷実可子(1988年撮影)

 彼女の夫は同じく体操選手の小野喬で、1958年に結婚した。結婚後も慶應義塾大学体育研究所に勤めながら体操を続け、ローマ五輪に夫婦そろって出場した1960年に妊娠、翌年、長女を出産する。このとき引退するつもりでいたが、郷里の秋田で開催される国民体育大会に依頼を受けて出場する。出産からわずか4カ月での復帰だった。

 東京五輪の前年の1963年には長男を儲け、今度こそやめる決意をした。だが、若手が伸び悩んでいるから、一緒に練習をしてほしいと求められ、結果的に再び日本代表に選ばれたのだった。

 このとき、小野は28歳で、体操選手としてはかなりの高齢となっていた。普通なら年齢を重ねるにともない成績は下がるものだが、彼女の場合、1958年のモスクワ世界選手権と1960年のローマ五輪は個人総合15位、1962年のプラハ世界選手権は11位、そして東京五輪では9位と、最後まで上り調子で現役を終えた。東京五輪の団体では銅メダル獲得の原動力にもなった。

 彼女によると、出産のため練習できない期間、ほかの選手の練習を見て勉強できたことがプラスになったという。その一方で、練習に出かける際、子供に泣かれるので、自分は母親として間違っているのではないかと思い悩んだりもした。しかし、夫に相談したところ、《この子が大きくなって『おまえが泣くからオリンピックをやめた』と言うのと、『泣いたけど我慢してもらって、一生懸命練習してオリンピックに出場した』というのとどっちがいいかなあ》と言われ、迷いが吹っ切れたという(小野清子『子育てはおもしろい』ごま書房)。

 子育てと大学の仕事といずれもこなしながらの五輪出場は、女性アスリートの歴史に画期をもたらしたといえる。小野はその後、女性初のJOC委員となり、参院議員も務めた。

(【続きを読む】安藤美姫の“出産報道”、千葉すずバッシング…なぜ日本の女性アスリートはスキャンダルの対象になってきたのか? へ)

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