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「サイドバックはゲームの推進力」マルディーニが語る「サッキ革命」とSBの深い関係性

posted2021/02/14 17:01

 
「サイドバックはゲームの推進力」マルディーニが語る「サッキ革命」とSBの深い関係性<Number Web> photograph by Jean-Claude Pichon/L’Équipe

88−89シーズンのCL王者に輝いたミラン。マルディーニ(中央で左手ピースサイン)は「サッキ革命」の重要なピースだった

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バレンティン・パウルッツィ

バレンティン・パウルッツィValentin Pauluzzi

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Jean-Claude Pichon/L’Équipe

 パオロ・マルディーニインタビューの後編である。話は彼がプレーしたチームでのそれぞれのポジションと戦術的役割へと移っていく。

 アリーゴ・サッキのACミランはサッカーの革命だった。コンパクトなフラット4によるゾーンディフェンスとラインコントロール、ボール狩り、そして素早いトランジションからスペースに人が次々と入っていく攻撃……。そのスペクタクルなスタイルは、ヨハン・クライフのトータルフットボールが出現したとき以来の衝撃だった。

 だが、この衝撃は長くは続かなかった。ミランでサッキの後を継いだファビオ・カペッロは、守備を重視したスタイルに修正してチームを安定させたが、サッキがもたらしたアグレッシブさは徐々に失われていった。その後のアルベルト・ザッケローニやカルロ・アンチェロッティもしかりで、サッキの残滓を覆いつくすように自分のスタイルを構築した。また、サッキ自身も、代表監督を務めた94年アメリカW杯では、ミランほどのアグレッシブなチームは構築できなかった。

 そうした当時の状況を踏まえながらでないと、マルディーニの言葉は理解しにくいかも知れない。ただ、当事者であるからこその説得力がそこにはある。(全2回の2回目/#1から続く・肩書などは掲載当時のままです)

(田村修一)

「革命」を起こしたアリゴ・サッキの教え

――あなたは攻撃能力の高さで評価を得ていますが、優先すべきは常に守備的な局面だったのでしょうか?

マルディーニ サッキはあの有名なダイアゴナルなスプリントを実践する際には常に守備にも注意を払うよう求めた。だがそれによって僕らはひとつの段階を超えた。それぞれの選手が次々とスペースに攻め込む。スペースアタック、スペースアタック、スペースアタック……。センターバックを除く全員がその動きを実践した。それこそが彼のドグマであり最大の教えでもあった。彼はボールを保持して攻撃を仕掛ける選手を求めてはいなかった。チームメイトがボールを支配して僕らに走る時間を与えたときに、どのタイミングでスプリントするかが最も重要だった。

――対面する相手の右ウイングを、マンツーマンでマークすることはまったくなかったのでしょうか?

マルディーニ いや、アゼーリオ・ビチーニの代表ではマンマークだった。フランコ・バレージを除き、誰もが少なくともひとりはマークする相手がいたし担当するゾーンがあった。ただ、それが難しいとは一度も思わなかった。というのも左サイドバックには、対面する相手がどんなタイプかにかかわらず自分のサイドに留まれる自由があった(自分のエリアを離れてまで相手についていく必要はなかったの意)。また結局のところ相手の右ウィングも、自分のポジションから基本的に離れなかった。背番号でいえば、3番(左サイドバック)が7番(右ウイング)に、2番(右サイドバック)が11番(左ウイング)に、5番(ストッパー)が9番(センターフォワード)に対応していた。

【次ページ】 時代とともに変わるSBの役割

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