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「心拍数190以上でプレーしていた」世界最高SBマルディーニが語る、攻撃参加の真髄【ドリームチーム選出】

posted2021/02/14 17:00

 
「心拍数190以上でプレーしていた」世界最高SBマルディーニが語る、攻撃参加の真髄【ドリームチーム選出】<Number Web> photograph by Marc Francotte/L’Équipe

ユースからACミラン一筋。7度のスクデッド、CL優勝5回など、キャプテンとして長年にわたりチームに貢献した

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田村修一

田村修一Shuichi Tamura

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Marc Francotte/L’Équipe

『フランス・フットボール』誌選定バロンドール・ドリームチームの左サイドバックにはパオロ・マルディーニが選ばれた。2位ロベルトカルロスとは僅差(41ポイント)ではあるが、異論のない選出である(筆者は4位のジャチント・ファッケッティを推したが)。

 父親はACミランでキャプテンを務めたチェーザレ・マルディーニ(63年UEFAチャンピオンズカップ優勝)。16歳でプロデビューしたパオロは、以降引退までの25年間をミラン一筋でプレーしたサラブレッドである。この間、CL優勝5回、トヨタカップとクラブワールドカップ優勝3回。ワールドカップでは優勝こそないが、23試合フル出場と出場時間2217分はいまだ破られていない記録である。その知的でエレガントなプレースタイルも、貴公子と呼ぶにふさわしかった。

 ヴァレンティン・パウルッツィ記者によるマルディーニインタビューを、前後2回に分けてお届けする。この前編では、左サイドバックに定着するまでの過程などをマルディーニが語っている。

 ひとつ留意せねばならないのは、マルディーニが発しているのはイタリアのサッカー文化のなかで生まれた言葉であることだ。それはゲルマンやアングロとも異なる、また同じラテンでもフランスともスペインとも異なるイタリア独自の言葉であり概念である。

 たとえば彼が語る4バックの非対称性、右サイドバックをストッパーと捉える見方は、(左右サイドバックの役割の違いは理解していても)日本には馴染みのない概念ではないか。右サイドバックを「ニセの8番(ボランチ)」と語るマルディーニの言葉に触れたとき、82年スペインW杯でウイングのマークを中盤の選手に任せ、右サイドバックのクラウディオ・ジェンティーレがジーコやディエゴ・マラドーナをマークしたことが戦術的にも腑に落ちたのだった。(全2回の1回目/#2に続く・肩書などは『フランス・フットボール』誌掲載当時のままです)

(田村修一)

イタリアとブラジルはサイドバックの名産地

――バロンドール・ドリームチームの左サイドバックの候補候補10人のうち、ブラジル人が4人、イタリア人が3人とこの2カ国が大半を占めています。2カ国が、このポジションにおける主流といえるのでしょうか?

マルディーニ そう思う。ブラジルは1950年代から違いを作り出してきたし、僕らイタリアもジャチント・ファッケッティが左サイドから攻撃参加するフルバックという新しい概念を生み出した。イタリアでは右サイドバックで同じ役割の選手を見出すのは難しい。というのもイタリアでは長きにわたり、リベロとマンツーマンマークを担当する2人のストッパー、そして攻撃参加する左サイドバックという(4バック)システムが採用されてきたからだ。たとえばジュゼッペ・ベルゴミは「フルイディフィカンテ(イタリア語で攻撃的フルバックを意味する)」ではなかった。誰も彼にその役割を求めなかった。

 右サイドバックにも攻撃的役割を与えたのはニルス・リードホルム(1960年代から90年代にかけミランの監督を3度、ローマの監督を4度務めた)が最初だった。ローマではフランチェスコ・ロッカとセバスティアーノ・ネラ、ミランではマウロ・タソッティを右サイドに置いて攻撃参加を求めた。

 そんなわけで攻撃的右サイドバックはイタリアの特産とはいえないが、左サイドバックの攻撃参加はまさに伝統といえる。

――リストにあげられた選手の多くとピッチ上で顔を合わせていますが、どんな思い出がありますか?

【次ページ】 SBとCB、その違いと適性とは

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