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「サイドバックはゲームの推進力」マルディーニが語る「サッキ革命」とSBの深い関係性
text by
バレンティン・パウルッツィValentin Pauluzzi
photograph byJean-Claude Pichon/L’Équipe
posted2021/02/14 17:01
88−89シーズンのCL王者に輝いたミラン。マルディーニ(中央で左手ピースサイン)は「サッキ革命」の重要なピースだった
手に負えないほどの難しさを初めて感じたのはEURO88準決勝、バレリー・ロバノフスキーのソビエト連邦との試合だった。相手の右ウイングは僕に対峙した後に中央に動いて味方の右サイドバックのためのスペースを作った。すべてがもの凄くスピーディで、僕はどちらをマークすればいいかわからなかった。監督に指示を求めたら、中間にポジションを取るように言われた。2対0の負けで、内容的にも完敗だった。
――タッチラインとはどんな関係を保っていましたか?
マルディーニ サッキのときは、4人のDFはとてもコンパクトだった。サイドで何かが起こったら、僕はいつラインを動かすかを見ると同時に、自分が対処すべき相手のケアもしなければならなかった。それも迅速に。そのために集中力とポジション感覚、スピードが求められたが、そこは僕の長所のひとつだった。すべてをコントロールするために、ふたつの方向に容易に向く能力を僕は備えていた。たぶん生来の資質だと思う。
試合時間のほとんどを自陣でプレーした時代
――それでは左ウイングとの関係はどうでしたか?
マルディーニ それぞれがまったく異なっていた。ロベルト・ドナドーニに対しては、パスを送った後に僕もオーバーラップする。すると彼は少なくとも2人を抜き去って、僕にパスを戻すか自らシュートを打った。ジャンルイジ・レンティーニは1対1の強さがチームの大きな力になっていた。ズボニミール・ボバンは技術面で卓越し、中央に入っていくことを好んだから、僕のサイドに容易にスペースが生まれた。クラレンス・セードルフは相手ラインの間で巧みにプレーし、相手が捉えようのないパスを味方に送った。セルジーニョにはボールを預けるだけでよかった。というのも彼は生粋のウィングで、自らフィニッシュまで持っていくから、僕はカバーするだけで十分だった。そんな風に選手の資質に応じて僕も対応した。
――ラストパスを多く送るタイプのサイドバックでしたか?
マルディーニ そんなに多くはなかった。というのも今日の左サイドバックとは起用のされ方が異なっていたからだ。僕の出場試合のデータを集計したら、恐らく全プレー時間の75%は自陣でプレーしていただろう。ボールを圧倒的に保持することはなかったし、アンチェロッティが監督のときでさえ縦に速いサッカーを求められた。ミスの生じやすい難しいスタイルだった。瞬時に80mをカバーしなければならないからで、ポゼッションスタイルならもっと容易にペナルティエリアに近づくことができる。
――5バックシステムでは左アウトサイドでもプレーしました。