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「心拍数190以上でプレーしていた」世界最高SBマルディーニが語る、攻撃参加の真髄【ドリームチーム選出】
text by
バレンティン・パウルッツィValentin Pauluzzi
photograph byMarc Francotte/L’Équipe
posted2021/02/14 17:00
ユースからACミラン一筋。7度のスクデッド、CL優勝5回など、キャプテンとして長年にわたりチームに貢献した
マルディーニ そう言えるかも知れない……。2年目にはフランコ・バレージに代わりセンターバックでもしばしばプレーした。左サイドバックに固定される前だ。
面白いことにカペッロは、僕が左サイドバックで10年プレーした後に再び右サイドバックにコンバートした。というのもクリスティャン・ツィーゲが左サイドバックとしてチームに入ってきたからだ。でもこのときは、あまり右サイドバックに馴染めなかった。タッチラインを左に見ながら相手と対峙することに慣れていたからで、たぶん視野の問題だったと思う。ところがセンターバックに関しては、右だろうと左だろうと何の問題もなかった。
――左でプレーするにあたり、右利きであることは何の障害にもならなかったのですね。
マルディーニ クロスにせよパスにせよ左足でコントロールした。僕は本物の左サイドバックだった。最近では利き足が逆のサイドアタッカーが増えているように、サイドバックに関してもフリーなスペースに入っていくのはサイドだけに限らない。モダンフットボールではスペースを見つけられる選手がサイドでプレーすべきで、その点で利き足が逆であるのは大きなアドバンテージだ。
――あなたのデビュー当時のイタリアでは、流動的な左サイドバックと守備に役割を限定された右サイドバックという組み合わせは不変だったのでしょうか?
マルディーニ 90年イタリアW杯を思い起こせばいい。僕が左サイドバックでリカルド・フェリとベルゴミが左右のストッパー、フランコ・バレージがリベロだった。右サイドバックの選手は「ニセの8番(=ボランチ)」でもあった。
「サッキ革命」が変えたSBの概念
それが変わったのはアリーゴ・サッキのミランからだ。彼は少なくとも3人のDFが常に後方に残っていることを求めた。つまり僕がオーバーラップしたら、右サイドバックが残って3人のDFラインを維持する。右サイドバックが上がったら僕が同じことをする。
だが今日では、2人のサイドバックは同時に中盤のラインに加わっている。さらに高い位置をとることもよくある。そのように進化は続いていて、時代というよりも年ごとに変わっている。その激しさといったら……。僕はずっと攻撃的サイドバックと認識されてきたけど、サイドバックの概念は当時から大きく変化している。
――左サイドバックでプレーするようになって、誰のプレーにインスパイアされましたか?