JリーグPRESSBACK NUMBER
ワールドユース後に届いた「生卵かけるぞ」…五輪、W杯落選の佐藤寿人が“仲間”を応援した理由<谷間の世代>
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byKazuya Gondo/AFLO SPORT
posted2021/02/11 17:04
2001年ワールドユースでグループリーグ敗退が決まり、涙を流す佐藤寿人。黄金世代と比較されることが多かった
Jリーグでは2012年の得点王、MVPを始め、ゴールを量産した。それが評価され、A代表にも招集された。どの監督の下でもジョーカーとして途中から起用され、重宝された。それでもW杯には手が届かなかった。
「2006年のドイツ大会は選ばれず悔しい思いでいっぱいでした。でも、2010年の南アフリカ大会ではメンバーに入る、入らないということよりも、W杯でどう勝つか、ゴールを奪うかということを考えていたので、出られなかったことへの心残りという感じとはまた違ったというか……。最終的にメンバーから外れましたけど、大会を迎えるまで代表は難しい時期をすごしていて、(チームが)どうなってしまうんだろうという心配もあったので、予選突破したときはどこかホッとした気持ちがあったんです」
南アフリカ大会ではともに世代別代表を戦った田中マルクス闘莉王や阿部勇樹、駒野友一、松井大輔らがピッチで躍動した。
「頼む! 結果を残してくれ!」
W杯の舞台に立てなかったことは「残念だった」と悔しさをあらわにするも、自らの思いを彼らに託し、広島の夏季キャンプのため訪れていたオーストリアから心の底から応援した。
「離れていても、特別な存在」
「鳴かず飛ばずの苦しい時期もみんなで一緒に頑張って、自分たちの時代が来たというときにはみんな各クラブで結果を出して。いつも“あいつ(試合に)出てるかな”とか“活躍したかな”“勝ったかな”と、お互い気にかけながら、刺激し合い、お互いを高め合ってきました。カズ(森崎和幸)とコウジ(森崎浩司)とは広島でも一緒だったので長くプレーしていましたけど、他のメンバーに関しても、チームが別々で離れていても、何年経っても、自分にとって特別な存在であることは変わらないですね」
気が付けば、30歳、35歳……と年齢を重ね、ここ数年の間に、一人、また一人と同世代が次々とユニフォームを脱ぎ、ピッチを去った。
「寂しいなという気持ちはもちろんありましたよ。ただ、考え方は人それぞれ違うんだけど共感できる部分もあって。たとえば、(鈴木)啓太はクラブからのオファーもあってまだ全然プレーもできるのに、最後は“浦和の男で終わりたい”と引退を決断して。その時は自分も広島でプレーして10年以上経っていたので、その気持ちが痛いほど理解できました。また、ナオ(石川直宏)のようにずっとリハビリと向き合いながらもピッチに戻ってきて引退するのも素晴らしい形だなと思いましたし。兄(佐藤勇人)が2019年で引退したときには、自分にも近い将来、その瞬間が訪れるんだろうな……と考えたりもしました。でも、なんだかんだ、みんなこれだけ長くやってるじゃん! っていう誇りがありましたよね」