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ワールドユース後に届いた「生卵かけるぞ」…五輪、W杯落選の佐藤寿人が“仲間”を応援した理由<谷間の世代>
posted2021/02/11 17:04
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph by
Kazuya Gondo/AFLO SPORT
「もちろん、反骨心はありましたよ」
佐藤寿人らの世代の2つ年上にあたる「黄金世代」は、1999年ワールドユース(現U-20W杯)ナイジェリア大会で準優勝の快挙を達成し、翌年のシドニー五輪でベスト8に進出。2002年に開催されたW杯にも稲本潤一や中田浩二ら多くの選手が選出され、日本初のベスト16入りに貢献していた。
そんななか、佐藤ら1981年生まれの世代は、2001年ワールドユースでグループリーグ敗退。10代の頃から黄金世代と比較され、その華々しい活躍に押されていつしか「谷間の世代」と呼ばれるようになっていた。
「ワールドユースで敗退して、もうこいつらはダメだみたいな烙印を押されて。当時は今みたいにSNSもなく、唯一、僕がオフィシャルブログを持っていたんですけど、アルゼンチンから日本に帰国するときには、コメント欄に『成田到着したら生卵かけるぞ』というような言葉も書かれていて」
初めて日本代表がW杯を戦ったフランス大会の直後に代表が帰国した際、成田空港で城彰二が水をかけられたことをふと思い出し、背筋が凍りついたという。そんな心配も杞憂に終わったが、何ともいえない強烈な悔しさだけは心に深く刻まれた。
アテネ五輪落選……「悔しい部分もありました」
次の目標として、視野に入れていたのが2004年のアテネ五輪だった。まずは代表でどうこうというよりも、チームで結果を残さなければ招集されない。「本当の意味で厳しいプロの世界でまず生き残らなければ。そんな思いでプレーしていました」と反骨心を力に変えた。
しかし、チームはアジア予選を突破してアテネ五輪本選への出場権を手にするも、ワールドユースの中心だった佐藤はメンバーから漏れてしまった。
「ワールドユースの後になかなかクラブでポジションを取れていませんでしたからね。ただ、仙台に移籍して、当時は、同世代の他のFWと比べてもそん色ないくらい得点を決めていたので……。正直(選ばれず)悔しい部分もありました。やはり五輪はすごく注目される大会でしたからね。ただ、その先にA代表があるということも分かっていたので、しっかりと目の前のことに集中していこうと思っていたし、代表に入れなかった分、A代表入りに向けて頑張っていこうと切り替えていました」