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高校1年の田中将大は「捕手」で秋の神宮出場…なぜ次のセンバツで投手として“覚醒”できたのか

posted2021/02/04 17:03

 
高校1年の田中将大は「捕手」で秋の神宮出場…なぜ次のセンバツで投手として“覚醒”できたのか<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

2004年秋季全道高校野球秋季大会決勝で捕手を務めた駒大苫小牧の田中将大。その後の明治神宮大会では「背番号2」をつけてマスクをかぶった

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西尾典文

西尾典文Norifumi Nishio

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 キャンプイン直前の1月28日、古巣楽天への復帰を発表したことで話題を独占した田中将大。8年ぶりの日本球界復帰のニュースに、大いに期待を抱いたファンも少なくないだろう。筆者も“朗報”に触れながら、学生時代に取材したことを回想していた。

 田中のプロ入り後の成績は申し分ないが、駒大苫小牧高時代は2年夏に甲子園優勝投手となり、3年夏には斎藤佑樹擁する早稲田実業高と決勝戦再試合の激闘を演じるなど、学生時代も数多くの伝説を残してきた。少年野球時代はキャッチャーを務め、バッテリーを組んだのは同じ兵庫県出身の坂本勇人(巨人)だったことは有名な話。ピッチャーに本格的に転向したのは高校時代からだった。しかし、あまり語られていないのが、田中にとって初の全国大会でもキャッチャーとしてプレーしていたことだ

全国デビューは「5番・キャッチャー」

 その大会というのは2004年秋に行われた明治神宮野球大会。その年の夏、北海道勢として初の甲子園優勝を果たした駒大苫小牧は、続く秋の全道大会でも5試合で49得点と圧倒的な強さで制覇。そして11月13日の明治神宮大会初戦の新田高戦で、田中は5番・キャッチャーで全国デビューを果たしている。

 当時のプロフィールは183cm、73kgと現在と比べるとかなり体重も少ないが、体つきはしっかりしており、細身だったという印象はあまり残っていない。

 先発マウンドに上がったのは、優勝した夏の甲子園でも最速147キロをマークして注目を集めていた松橋拓也だ。その140キロ台のストレートを難なくキャッチし、ワンバウンドになるボールも完璧にブロックするキャッチャー田中のプレーぶりにまず驚かされた。イニング間のセカンド送球は2.00秒を切れば高校生では十分強肩と言われるが、この時の田中のタイムは最速2.01秒。少しモーションが大きかった分、タイムは驚くほどのものではなかったものの、低い軌道で一直線にセカンドまで届くボールの勢いは際立っていた。当時の試合を記録したノートにも「ベースまでのひと伸びが特に凄い」とある。

 また「1年生ながら周囲に積極的に声をかける姿勢も捕手らしい」という記載もあり、キャッチャーとしての高いポテンシャルが感じられたことがよくうかがえる。

【次ページ】 投手・田中将大の覚醒

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