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高校1年の田中将大は「捕手」で秋の神宮出場…なぜ次のセンバツで投手として“覚醒”できたのか
text by

西尾典文Norifumi Nishio
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2021/02/04 17:03

2004年秋季全道高校野球秋季大会決勝で捕手を務めた駒大苫小牧の田中将大。その後の明治神宮大会では「背番号2」をつけてマスクをかぶった
ちなみに田中は甲子園大会では一度も負け投手にはなっておらず(2006年夏の決勝は先発した菊地翔太が負け投手)、明治神宮大会の羽黒戦が全国大会で喫した個人として唯一の黒星となっている。
残念ながら本人に確かめたことはないが、誰もが認める“負けず嫌い”の性格からも、この負けによる悔しさが翌年春の急成長を促す材料になったことは大いに考えられる。また、一学年上に松橋、吉岡俊輔という好投手2人がいたにもかかわらず、捕手ではなく投手で勝負させた香田誉士史監督(当時・現西部ガス監督)の決断も見事という他ない。2004年の秋に見せた捕手としての大きな可能性を閉ざして得たものは、日本球界にとってもかけがえのないものとなったことは間違いないだろう。
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