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【高校ラグビー】「“聖地”花園の最寄り駅やけど…」近鉄奈良線の“ナゾのラグビー駅”「東花園駅」には何がある? 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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photograph byMasashi Soiri

posted2021/01/03 11:04

【高校ラグビー】「“聖地”花園の最寄り駅やけど…」近鉄奈良線の“ナゾのラグビー駅”「東花園駅」には何がある?<Number Web> photograph by Masashi Soiri

近鉄奈良線のナゾのラグビー駅「東花園駅」には何がある?

 東大阪市は小さな町工場がたくさんあることでも有名だが、こと東花園に関してはそうした町工場も見られない。田園地帯に電車が通り、秩父宮雍仁親王の鶴の一声で突如ラグビー場が誕生、そこでようやく駅ができて、40年ほど遅れて住宅地としての開発がはじまった……。これが東花園発展の歩みなのである。

 そうして考えれば、駅のコンコースから駅外壁、そして駅前のJAまでラグビーづくしなのも当たり前、東花園駅はラグビー“一辺倒”の駅だといっていい。(一辺倒、などというとそこに暮らしている人には怒られてしまいそうだが…)何もない普通の平日に訪れたヨソモノにもラグビーの聖地の町としての誇りがビシビシと伝わってくる駅はそうはない。

甲子園でも高校ラグビーをやっていた

 全国高校ラグビーは今年でちょうど100回目。全国高校ラグビーの代名詞が“花園”になっているくらいだから、ずーっと花園でやってきたのだと思っていが、実はそうではないらしい。1回目から5回目までは現在の阪急が建設した豊中グラウンドが舞台。その後は甲子園球場や西宮球技場などで開催され、花園に移ったのはなんと1963年。わずか約60年で“花園”は聖地としての地位を築き上げた。それはやっぱり、この町の“ラグビーの町”としてのプライドゆえなのだろうと思うのである。

 ところで、高校ラグビーの記念すべき第1回を開いた豊中グラウンド、高校野球の第1回大会(当時は中等野球)の舞台にもなっている。今では跡形もないようだが、実に歴史的なグラウンドなのだ。次は豊中グラウンドの跡地に行ってみようかな……。

(写真=鼠入昌史)

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