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【高校ラグビー】「“聖地”花園の最寄り駅やけど…」近鉄奈良線の“ナゾのラグビー駅”「東花園駅」には何がある?
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byMasashi Soiri
posted2021/01/03 11:04
近鉄奈良線のナゾのラグビー駅「東花園駅」には何がある?
そこには東京にあるもうひとつのラグビーの聖地「秩父宮ラグビー場」に名を残す秩父宮雍仁親王が深く関わっていた。
1928年、秩父宮雍仁親王は阪神甲子園球場で催された東西対抗のラグビーの試合を観戦に訪れた。その後に橿原神宮を参拝する予定があったために大阪電気軌道(現在の近鉄奈良線)に乗り込んだ。車内から窓の外を眺めていると、空き地に目が留まる。そこで同乗していた大阪電気軌道の役員に対し、「ずいぶん空き地が多いじゃないか、このあたりに台頭しつつあるラグビーの専用競技場を造ったらどうか。乗客も増えて会社も利益を得るのではないか」と提案した。
もともと「ラグビー運動場前」という臨時駅だった
この秩父宮雍仁親王の言葉がきっかけとなって、大阪電気軌道は花園ラグビー場の建設を決め、日本初のラグビー専用競技場として1929年11月22日に開場する。開場式典には秩父宮雍仁親王も訪れたという。ちょうど直前の1927年には大阪電気軌道の若手社員によるラグビー部が結成されており、花園ラグビー場を本拠地として活用した。このラグビー部、もちろん今の近鉄ライナーズのルーツである。
そして花園ラグビー場の開場にあわせ、最寄り駅として東花園駅が営業を開始する。当時、駅の周りにはラグビー場以外は特になにもなかったので、「ラグビー運動場前」という名の臨時駅に過ぎなかった。ラグビーどころではなくなっていた戦時中は営業休止に追い込まれ、戦後もラグビー専用の臨時駅としての時期が長く続く。東花園駅と改めて常設駅になったのは1967年のことだ。つまり、裏を返せば1967年以降、本格的に周辺の“ラグビー以外”の開発が進んでいったのである。
さて、もう少し東花園駅の周りを歩いてみよう。駅前の通り沿いにはいくつかの商業施設があるほかは、ポツポツと畑が見られるほどの住宅地である。少し東側に歩いていくと、駅の周りの道路の区画とは違って北東から南西に向かってナナメに走る大通りにぶつかるが、これは一体が田園地帯だった当時からの送電線の真下に新たに道路を通したものだ。さらに南側の恩智川沿いの住宅地も、1970年前後になってようやく開発がはじまった。