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前年は襷が途切れて19位…日体大、7年前の箱根駅伝で“伝説の総合優勝”「嫌われても、4年生を信じていた」 

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杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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photograph byAsami Enomoto

posted2020/12/31 11:07

前年は襷が途切れて19位…日体大、7年前の箱根駅伝で“伝説の総合優勝”「嫌われても、4年生を信じていた」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

5区で1位に立ち往路優勝に導いた3年生主将の服部

「練習で1日も雨がなかった。神がかっていました」

 全体の底上げが進んだ夏合宿以降、高柳祐也、谷永雄一ら4年生の主力組もレースで安定して結果を残し始めた。各自の自立心が徐々に芽生え、本来持っている能力を存分に引き出せるようになったのだ。

 別府監督の隣でつぶさに練習を観察していた中村主務はチーム全体の成長ぶりを感じながら、不思議に思ったこともある。

「練習で1日も雨がなかったんです。直前まで雨が降っていても、寸前で上がることもありましたから。本当に神がかっていました。これは何かが起こるんじゃないかな、と思ったくらいです」

 10月の箱根駅伝予選会では見事にトップ通過。チームとして取り組んできた成果が出たことで、自信を深めた。勢いそのまま11月の全日本大学駅伝では4位に入り、目標の箱根駅伝総合3位が見えてきた。

「3位と13秒差の4位だったんですよね。でもそれがよかったと思います。監督ともそう話していました。ここで3番を取ったら、箱根で優勝を狙うと言い出すだろうな、と。でも4位になったことで、当初の目標通り3位を狙うことに集中して、浮き足立たず、焦ることなく走れると前向きに捉えていました」

服部が5区で大仕事をしてくれると信じていた

 4年生の高柳らは伊勢路を終えた時点で、山区間のある箱根では、さらに順位が上がると感じていた。エースでキャプテンの服部が山上りの練習でかなりの手応えを得ていることを知っており、5区で大仕事をしてくれると信じていたのだ。

 ただ、服部1人に任せるのではなく、最後までチーム全員で走ることに集中した。前年までは大会1カ月前になると、16人のエントリーメンバーとそれ以外の箱根を走らない控え組は生活から練習時間まで切り離されていた。感染症を予防する上では“箱根態勢”と呼ばれる形は理にかなった措置かもしれない。だが、チームとして一つになれなかったのも事実だった。

「大会前に全員集まって練習することで、みんなで箱根を戦うんだという気持ちになっていました。メンバー外の選手たちも気を抜けなかったですし、あれでより一枚岩になったと思います」(中村主務)

 箱根態勢を崩したことで、本来はエッサッサの準備などをしていた控え組も練習に時間を費やし、エッサッサの練習どころではなかった。控え組を含め一人ひとりが本番に向けて目の前のことに集中して取り組んでいたのだ。

【次ページ】 「嫌われても、僕は4年生たちを信じていました」

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