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【箱根駅伝】マスコミにもライバル校にも見向きもされず「えーっ」 2006年“雑草軍団”亜細亜大の初優勝
posted2020/12/31 06:01
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
JIJI PRESS
箱根駅伝が目前に迫った今、かつての名勝負を振り返ります。今回は2006年亜細亜大学。
初出:Sports Graphic Number PLUS 2014 「箱根駅伝 名勝負をもういちど。」
初出:Sports Graphic Number PLUS 2014 「箱根駅伝 名勝負をもういちど。」
06年の大会の焦点は、駒大が5連覇を達成するかどうかに集まっていた。前年7位の亜大を優勝候補に挙げる声は皆無。しかし60歳を迎えた岡田正裕監督(現拓大監督)は、元日に「優勝を狙うぞ」と選手たちに発破をかけていた。
驚きの初優勝の立役者となったのが9区を走った山下拓郎(現拓大コーチ)。監督の自信はどこから来ていたのか。「優勝経験はなくとも、年間を通した練習の内容、ハーフマラソンでの平均タイムも良く、『優勝だって狙える』という雰囲気になっていました」と振り返る。
亜大は往路6位で、トップ順大との差は2分51秒。「2日が終わって好位置につけているのに、優勝の声は上がらず、『えーっ』と思いましたね」と山下は苦笑い。往路を終えてもマスコミ、ライバル校にとって亜大は眼中になかった。
復路は上位校が次々とブレーキに苦しむ混沌とした展開のなかで順位を上げた。8区終了時点で先頭を行く駒大と1分12秒差の2位で、山下に欅が渡る。
「1分半以内だったら逆転」と自信を持っていた山下は、「先行する中継車が見えたのが目標になったんです。どんどん差が詰まって励みになりました」。そして駒大の平野護を20km地点で振り切って、亜大はそのまま大手町にゴールした。
優勝した岡田監督はチームを「雑草軍団」と表現したが、豊富な練習量がしぶとい雑草を育んだのだった。
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