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前年は襷が途切れて19位…日体大、7年前の箱根駅伝で“伝説の総合優勝”「嫌われても、4年生を信じていた」 

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杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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photograph byAsami Enomoto

posted2020/12/31 11:07

前年は襷が途切れて19位…日体大、7年前の箱根駅伝で“伝説の総合優勝”「嫌われても、4年生を信じていた」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

5区で1位に立ち往路優勝に導いた3年生主将の服部

「嫌われても、僕は4年生たちを信じていました」

 そして、迎えた13年1月2日の箱根駅伝。頼りにしていたエースは、山でしっかり期待に応えてくれた。2位で襷を受けると、区間賞の快走で往路優勝のゴールテープを切る。3年生の主将の奮起に促されるように、復路に集まった4年生たちも好走した。7区の高田翔二、8区の高柳、10区の谷永はいずれも区間2位。1位でもらった襷をミスなく後続につなぎ、先頭を走り続けた。その後ろ姿を運営管理車から別府監督とともに追っていた中村主務は、4年生たちが襷をつなぐ姿を見て、総合優勝に近づいていることを実感していた。

「7区の高田のところで、これは行けるかもしれないって。8区の高柳の時点ではもう優勝かなと。谷永に襷が渡ったときには、本当に勝つんだと思いました。1年前は襷がつながらなかったのに……。最後の最後、谷永がゴールする前に大きく両手を上げて喜んでいましたよね。よく覚えています」

 しみじみと話す言葉には思いがこもっていた。別府監督のサポートに徹するために選手たちとは距離を置き、同期でもあえて親しくしなかった。2年生までは一緒に走った仲間である。3年生のときに選手からマネジャーになってからは、プライベートで食事に行った記憶もない。

「たとえ嫌われても、僕は4年生たちを信じていました」

急きょエントリーから外れた4年生の福士優太朗

 1月3日の大手町では仲間たちと喜ぶ暇もなく、主務の仕事をこなし、次から次に宙を舞う選手を見ていた。往路の前日に急きょエントリーから外れた4年生の福士優太朗が胴上げされたときは感慨深かった。

「走力は学年でもトップでした。人間性も良くて、淡々と練習をこなしていたんです。人の悪口も言わない。あの1年間も練習を引っ張っていましたし、福士の貢献度は大きかったと思います」

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