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【箱根駅伝】原晋メソッドで学連選抜が輝いた2008年 苦戦を強いられる近年の「チーム」に必要な力

posted2021/01/02 06:01

 
【箱根駅伝】原晋メソッドで学連選抜が輝いた2008年 苦戦を強いられる近年の「チーム」に必要な力<Number Web> photograph by Asami Enomoto

近年苦戦を強いられている学連選抜チーム。2008年の輝きを再び見られることを期待したい(写真はイメージです)

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph by

Asami Enomoto

箱根駅伝が目前に迫った今、かつての名勝負を振り返ります。今回は2008年関東学連選抜。
初出:Sports Graphic Number PLUS 2014 「箱根駅伝 名勝負をもういちど。」(肩書などすべて当時)

 2014年の箱根駅伝は90回の記念大会。例年より3チーム多い23校が出場するが、そのかわり関東学連選抜は編成されない。

「えっ、出ないんだ。さびしいな」

 そんなファンの声も少なくない。

 学連選抜の歴史を紐解いてみると、'03年の大会から編成され、'07年からは正式なチームとして公式記録に残るようになった。大きな進歩である。それ以降は、本選で学連選抜が10位以内に入れば、次回予選会での出場枠が1つ増えるというシステムも作られた。単なる寄せ集めの集団ではなく、そこに「チーム」としての意義が生じたのである。

 振り返ってみると、学連選抜の印象を決定づけたのは'08年のチームである。この年の学連選抜は駒大、早大、中央学大についで4位に入った。快挙だった。

 実はこの年の学連選抜には、もうひとつの名前があった。「JKH SMART」。ジャパンのJ、関東学連のK、箱根のH。そして学連選抜に参加した選手たちの大学名の頭文字を集めると、すべてこのアルファベット8文字に収まった。

 このチーム名は12月に行なわれた第2回合宿の時、学連選抜の監督を務めていた青学大の原晋がメンバーに呼びかけ、学生が考え出したものだった。原監督はメンバーが決まるまで、顔さえも知らなかった選手たちをうまくまとめた。

「学生たちが学連選抜で何をしたいのか、問いかけたんです。思い出作り? それとも戦いたいのか? 中には3位以内を目指すという選手もいました。私の役割は、彼らが『本気』になった時に、それを手伝うことでした」

上位校のレベルが上がるほど学連選抜は苦戦を強いられる

 走った10人のメンバーのうち、区間3位以内の記録を残した選手が4人もいたことは特筆に値する。4区の久野雅浩(拓大/区間2位)、5区の福山真魚(上武大/区間3位)、6区の佐藤雄治(平成国際大/区間2位)、8区の井村光孝(関東学院大/区間2位)。ひとりひとりがしっかりとモチベーションを保ち、寄せ集めの選手たちが連帯感を持って欅をつないだことが、史上最高の4位という結果につながったのだ。

 この年のメンバーからは、明大の石川卓哉が翌年からチームの主力となり本選で活躍、上武大の福山真魚は翌年のチーム初出場に大きく貢献した。学連選抜での経験が、それぞれの大学に帰ってからプラスに働いたのである。

 しかし上位校のレベルがアップするにつれ、'10年以降、学連選抜は苦戦を強いられている。やはり、短期的な合宿では「チームカ」を醸成するには時間が足りない――監督、選手たちはそう声をそろえる。

 '15年以降の大会では、再び学連選抜が編成される予定だ。その存在価値を示すには、学生たち、そして指導者の情熱が欠かせない。

 白い欅に刺編された「関東学連選抜」の文字。熱があれば、赤の糸は美しく映える。

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