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【有馬記念】「中山競馬場ってドコにある?」 JR武蔵野線の“ナゾの競馬駅”「船橋法典駅」に行ってみた
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byMasashi Soiri
posted2020/12/27 06:03
JR武蔵野線の“ナゾの競馬駅”「船橋法典駅」には何がある?
調べてみると、この船橋法典駅から競馬場までの通りは木下街道というらしい。木下と書いて“きおろし”と読む。遠く利根川のほとりの木下という町から鎌ヶ谷などを経て競馬場の横を通って市川まで。古くは銚子で水揚げされたお魚を江戸の町まで運ぶために整備されたという歴史を持ち、今もこの地域の“抜け道”のひとつとして多用されているらしい。そのおかげで交通量がめちゃめちゃ多く、競馬開催日にはマイカーでやってくる人もいるからそれはそれは大渋滞。この地域ではちょっとした問題になっているくらいだという。みなさん、競馬場へは公共交通機関を利用しましょうね……。
ともあれ、このように交通量が多くて歩道が狭い木下街道を通らねばならぬ以上、競馬場へのアクセス道路としては危険すぎる。そこでナッキーモールがありがたい存在となるのだ。
で、船橋法典駅の「法典」ってなに?
さて、再び船橋法典駅に戻ろう。船橋法典駅、開業したのは1978年のこと。武蔵野線が開業したのと同時に駅も誕生している。中山競馬場の開場はそれよりうんと古い1920年代だから、もう完全に“後から生まれた競馬場駅”である。それより前はどうして中山競馬場に行っていたかというと、京成本線の東中山駅が最寄り駅であった。東中山駅は1935年に中山競馬場前駅という臨時駅として開業したくらいだ。現在の東中山駅に改称し、常設化されたのは1953年になってから。この頃に、周辺一帯の住宅地化が進んだということなのだろうか。
いずれにしても、競馬場開場から70年も遅れて船橋法典駅は開業した。ならばそれこそ「中山競馬場前」とでもすればいいじゃないかと思うが、“法典”という仏教っぽい名前を持ってきた。これはこの地域がもともと法典村だったから(法典村の由来はわかりませんでした……)。開業時にはすでに船橋市に飲み込まれていたが、古い地名に敬意を評した名付けだったのである。