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素朴な疑問 競馬にはなぜ「逃げ馬」がいるのか? サイレンススズカの“逃げ”に武豊が描いた大きな夢
posted2020/12/27 06:02
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph by
Bungeishunju
有馬記念で逃げ切りが決まったのは、過去10年でたった一度。
17年のキタサンブラックの引退戦がそれで、レースの中盤にハロン13秒台をひそかに2本入れて後続を幻惑した絶妙なペース配分が、最後のもうひと伸びを引き出した。その鞍上には、もちろん武豊騎手がいた。
キタサンブラックは、その2年前、3歳時に出走した有馬記念でも逃げている。意外なことに、初めて逃げの手に出たのがその有馬記念だった。馬の気持ちに乗る横山典弘騎手らしい手綱で、勝ったゴールドアクターからコンマ1秒差の3着は上々の結果と言っていい。菊花賞を制覇した主戦北村宏司騎手のケガという事情があっての代打横山典だったが、この走りを見て何かを感じたのが武ではなかったかと想像している。次走の大阪杯(逃げて2着)以降、ラストランの有馬記念まで武に鞍上が固まり、その12戦中6戦で逃げを選択して、4歳時の天皇賞・春、ジャパンカップ、5歳時の有馬記念と、3つのビッグレースで勝ち鞍が上がった。
武は、「逃げにこだわって乗ったレースはひとつもありませんでした。誰も行かないのなら行ってもいいし、ハナ争いが激しくなるようならその後ろからというスタンス。キタサンブラックが操縦しやすい馬だったからこそ、柔軟に構えて乗ることができました」と語る。なにがなんでも、という逃げではなく、逃げる手もあるよという手広さがキタサンブラックの懐を深くしていたようだ。
58秒で逃げて58秒で上がる、それが理想のサラブレッド
武が、逃げという戦法に大きな夢を描いていた馬が1頭だけいる。サイレンススズカだ。
あの馬に乗っていたころ、「最後にいい脚を残しておきたいから、ジョッキーは皆前半で行き過ぎないように工夫するわけです。でも、前半からリードを奪って、最後も一番いい脚で伸びることができる馬がいるなら、それが最高ですよね。2000mの競馬なら、58秒で逃げて58秒で上がる。誰もかなわない理想のサラブレッドがそれです」と、静かに熱く語っていたのが懐かしい。
98年の金鯱賞(中京芝2000m、G2)は、武の理想に最も近づいた競馬で、1000mを58秒1で逃げて、1分57秒8の時計でまとめた。58秒で上がるというわけにはいかなかったが、2着以下を1秒8も離した圧倒的な逃げ切りはあまりにも鮮やかだった。
思い出すのが辛いと言うファンも少なくないだろうが、その年の天皇賞・秋で見せたサイレンススズカの逃げは、背景がちぎれそうなほど速く、1000mの通過が57秒4。あのとき、なにごともなかったなら、理想の競馬が具現化していた可能性が高かったと筆者は勝手に思っている。