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スポーツクライミング、出場内定問題が決着…1年以上の法廷闘争の末、残った後味の悪さ
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2020/12/20 17:02
国内大会の決勝で戦うことも多かった野中(左)と伊藤(右)
代表になるチャンスがなくなった選手たち
原田はこのようにコメントを発表した。
「ほっとしました。今後同じような状況には誰もなってほしくない」
代表なのかどうか、宙ぶらりんの状態が続いたのは苦痛だっただろう。
同時に、今回の棄却で、代表になるチャンスがなくなった選手たちがいる。日本協会の選考基準の対象となっていた代表候補の選手たちだ。
その1人、伊藤ふたばは協会を通じてコメントを発表した。
「まず、私が東京オリンピックに出場するために応援してくださった全ての皆さん、ありがとうございました」
「裁判の結果は望んでいたものにはなりませんでした。まだ感情が整理しきれていないというのが本心です」
国際連盟の基準には不明点がつきまとっていた
男子の候補の1人、藤井快。
「判断結果は残念ですが、結果は現実として受け容れたいと思います。目の前にあることを真摯に全力で取り組み、結果にこだわり、2024年パリ五輪に向けて、しっかり準備します」
日本協会は「ベストを尽くしたが力及ばず、われわれの請求が入れられなかった。五輪出場の可能性がある選手の道が絶たれてしまったことについて深くおわびする」とコメントしているが、今回の決着で正式に決まった選手にとっても、可能性を失った選手にとっても、あまりにも長い時間となった。
そもそも、どうしてこのような食い違いが生じたか。
先に記したように、日本協会は選考基準について確認をとっていたとしてきた。
実際、国際連盟の基準には不明点がつきまとっていた。