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「1人で止めた方が早くね?」スーパー1年生・水町泰杜が苦しみながら学んだ“過去最強”の早稲田バレー
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byYohei Osada/AFLO SPORT
posted2020/12/19 11:00
早稲田大では背番号「22」をつける水町泰杜。高校時代と比べ、高さやパワー面で進化した
鎮西高時代とは「180度違うバレー」
鎮西高での基本の考え方は「1対1」。相手のスパイカーがどれだけ長けた選手であろうともマンツーマンブロックをベースとし、1人で止める。ブロックができなければ後ろで守るレシーバーが1人で拾う。相手に勝つためには、まず1対1の戦いを制することが絶対条件でもある。
そのため、チーム内で最も攻撃力の高い水町に打数の大半が集まり、ブロックも相手エースと水町をマッチアップさせる。かなりの運動量が求められたことで、連戦が続くと身体は悲鳴を上げた。両足をつりながら試合に出て、着地すらままならない状況でスパイクを打ち続けたこともあった。だが、それがエースの役割と自ら背負い戦ってきた。
良いか悪いは別として、当時はそれが当たり前だった。大学でも同じようにプレーしようとしたが、高校とは違った。攻撃では1人の選手に頼るのではなく、いかに全員が同時に攻撃を仕掛け、打数をまんべんなく散らせるか。守備も「このエースはお前が止めろ」ではなく、抜かせるところは抜かせ、後ろのレシーバーに拾わせる。大塚や村山のように、高校時代からリードブロックを基本とし、システムへの対応もスムーズだった選手がいる一方で、水町は「180度違うバレー」に苦しんだ。
「1人で止めた方が早くね?」
攻撃では「逃げずに打て」と叩き込まれてきたのに、今度は「状況を見極めて無理せずリバウンドをもらえ」と言われる。そもそも決めるバレーしかやってきていないので、相手のブロックに当ててもう一度つなぐと言われても最初はうまくできない。
それはディフェンスにおいても同じ。同じ鎮西高出身のリベロ荒尾怜音は、自身の勘で動こうとするたびに正され「どうしたらいいかわからない」と練習時に泣き出してしまったこともあった。水町も困惑することばかりだったと振り返る。
「ブロックも止めに行くブロックしかやっていなかったから、抜かせるブロック、タッチを取るブロックなんて知らないし、全然わからない。最初は『1人で止めたほうが早くね?』と思っていました」