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6年連続ドラフト入りの花咲徳栄高校 岩井監督「オヤジ、やっとドラ1を出すことができました」
posted2020/11/21 17:03
text by
上原伸一Shinichi Uehara
photograph by
Shinichi Uehara
こんなに早く名前が呼ばれるとは――。
10月26日のドラフト当日、井上朋也が1巡目2回目でソフトバンクから指名されると、花咲徳栄高校の会見会場は一瞬、時間が止まったかのような静寂に包まれた。指名直後の表情をおさえようと待ち構えていたカメラマンも、意外な展開に戸惑ったか、シャッター音が鳴り響くまで一拍の間があった。花咲徳栄は昨年まで5年連続でドラフト指名選手を出していたが、井上は同校としても初の1位指名となった。
前評判では井上は“上位候補”であったことは間違いない。ただ2位か3位か、それが大方の予想だった。終わってみれば高校生の野手ではただ1人の「ドラフト1位」。岩井隆監督にとっても想定外だったようだ。
「球団の評価はドラフト当日までわかりませんが、1位指名は全国のアマチュア選手の中で、わずか12名ですからね。いつかは……という気持ちはあったので、嬉しかったのは確かです」
ドラフト1位を出すのは、指導者にとっても栄誉なことである。岩井監督にとって2017年夏の全国制覇に次ぐ、“もう1つ”を手にした格好になった。
だがそれは監督としてというより、「技術屋」としての喜びだったという。
「私の中では半分は監督で、半分は技術屋だと思っています。これまで選手に伝えてきた技術が、井上に対する評価を通して、野球界に認められた気がしたんです」
故・稲垣人司の後を継ぎ、花咲徳栄に
岩井監督は2000年10月に急逝した稲垣人司前監督の後を継ぎ、翌年にコーチから監督になった。稲垣前監督は岩井監督にとって、桐光学園高校でプレーしていた時の監督であり、花咲徳栄へ自身を引っ張ってくれた人物でもある。
「監督でしたが技術屋、いや、技術指導では1センチのズレを許せない職人でしたね。監督としては(創価高校で甲子園出場が1回と)あまり勝てませんでしたが、こと選手育成においてはまさに職人だったと思います」
岩井監督がそう振り返る稲垣氏は創価高の監督時代、1983年ドラフト1位の小野和義(元近鉄)を育て、花咲徳栄の監督としても、品田操士(91年近鉄3位)、池田郁夫(92年広島7位)、品田寛介(93年広島6位)、神田大介(96年横浜5位)と4人の投手を高卒でプロに送り込んだ。大学、社会人経由を含めると計8人になる。
その稲垣氏に岩井監督は、高校時代とコーチ時代を合わせて約12年間、技術論を徹底的に叩き込まれた。
「始まりは高校1年の6月です。3年生の中心選手が主体の勉強会に入れと言われまして。その時からオヤジ(稲垣氏)は、私をゆくゆくは指導者に……と考えていたのだと思います」