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ジョコビッチ“線審不要論”に審判側の意見は? 主審への大事な修行機会だが…
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byGetty Images
posted2020/10/07 11:01
全米オープンでの失態は論外だが、ジョコビッチの線審についての提言は考えさせられるものだ
国際審判員が語る経験の重要性
線審は試合のたびに主審から評価が与えられ、その評価と場数をもとに、報酬や勤務大会のグレード、コートの規模などが決められるという。グランドスラムのような大舞台での線審としての経験は、将来の主審のクオリティ、ひいては試合のクオリティに関わるといっていい。
だから、『ホークアイ』が登場して14年が経つにもかかわらず、線審の存在は守られてきた。通常、グランドスラムには世界中から約350人の線審が集まる。今年の全米オープンでは大幅に削減されたものの、約100人に貴重な経験の場を与えた。彼らの仕事を守ることは、彼らの生計のためだけではなくテニス界のためでもあるからだろう。
国際審判員でチーフアンパイアのゴールド資格を持つ岡村徳之さんは、線審経験の重要性についてこう話す。
「いろいろな種類のボールを見る力、動体視力はトレーニングでも鍛えることはできますが、緊迫した試合の中でしか得られないものがあります。また、試合中に実際に起こるさまざまなことを体感し、そのつど主審がそれをどうコントロールするかを現場で学ぶことは非常に大切です」
線審の必要性について、やや意外な見解
しかし、線審の必要性についての岡村さんの見解はやや意外だった。
「『ホークアイ』が出てきたときから多少の危機感を抱きながらも、テレビゲームじゃないんだし、テニスのドラマは人間が作るものなんだと信じていました。コロナがくるまでは……。でも今は、合理化を考える時代に来ているのではないかと思い始めています。線審のステップをなくしたとしても主審のクオリティを落とさない方法はないだろうかと、実はそういうことも考え始めているところなんです」
日本テニス協会の審判委員長でもある岡村さんには、来年に延期された東京オリンピックで線審をどうするのかという切羽詰まった課題がある。もちろんコロナがなければ、線審をなくす方法など考えもしなかったことであり、一度なくせば元に戻すことが難しいのも承知している。正解がどこにあるのかなど誰にもわからない。
不要であり無用に見えるかもしれない伝統の価値を守りながら、発展や向上とのバランスを模索してきたのがテニスの歴史だ。それでもなお、ジョコビッチの発言を否定しきれない空気は広がっていくのだろうか。こんな時代だからこそ、あらためて考えさせられる「線審不要論」の是非である。