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“ミスター”から受け継ぐ帝王学 阿部慎之助ヘッド代行をあえて自由に動かせた原辰徳監督の思惑
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byKYODO
posted2020/10/02 17:00
巨人軍監督になるための“教育”は長嶋茂雄終身名誉監督から原監督(左)へ、原監督から阿部二軍監督(右)へと受け継がれている
若林抜擢は阿部ヘッド代行の進言
そしてそのけれん味のない言葉は、原監督に対しても同じところが阿部流だった。
9月23日の広島戦。
「8番・左翼」で6試合ぶりに先発した若林が2回の第1打席でレフトにタイムリー二塁打を放つと5回にも右翼へのこの日2本目の二塁打。さらに7回には今季1号となる右越え本塁打で猛打賞の大活躍をみせた。
実はこの若林抜擢は阿部ヘッド代行から原監督への進言で実現したものだったのである。
「ヘッド代行が『若林をぜひ今日のゲームで使ってくれ』と。『そうか、よし、じゃあいこう』ということで始まった。私の中では(若林の)スターティングメンバーというのは、微かにあった程度でね」
「僕がどんなミスを犯しても長嶋さんは叱らなかった」
若林も不振でファーム落ちして7月から1カ月ほど二軍で面倒を見てきた選手だった。そこから状態を上げさせて再び一軍に送り出してきただけに、いいときも悪いときも熟知している。その自分の目線を信じて、躊躇することなく先発起用を進言できる。
そういうけれん味のなさこそ、まさに阿部ヘッド代行の指導者としての持ち味なのである。
「僕も長嶋さんにそうやって育てていただいたからね」
原監督がこんなことを言っていたことがある。
原監督が長嶋茂雄監督の下でヘッドコーチとして過ごした最後の2001年には、シーズンの後半はほとんど試合で指揮を任されていた話は広く知られている。
「ただ僕がどんなミスを犯しても長嶋さんは叱らなかった。たまに『ヘッド、今日の試合は良かったよ!』と褒めてくれることはあったけど、どんなひどい負け方をしても、決して『なぜあんなことをしたんだ』とか『こうすれば良かった』とかそういうことは一切言わなかった」